[初出]2015年7月(http://privatter.net/p/928333)
[加筆修正・再掲載]2015年10月17日
開け放った襖の向こう、テーブルに数本のスティックを並べて、哲学的な表情を浮かべている主に遭遇して燭台切は思わず笑んだ。 「どうしたの?」 聞けば主は眉間にしわを寄せたまま彼を仰ぎ見た。 「もらったんだけど、口紅」 言いながら彼女は黒いスティックを一本手に取った。 「使ってないからあげる、若いからこのくらいしなさいな、って言われたんだけど」 言って彼女は黒いキャップを外すとぐいとその台をひねった。螺旋を描いて現れたのは、赤。 その煽情的かつ攻撃的な紅に、燭台切は紅い靴底のハイヒールを好んで履くメディカル・スタッフの姿を思い浮かべた。 「あたりあたり」 主はその表情から近侍の頭の中を読んだらしい。口紅の元の持ち主が難なく特定され、彼は笑う。 靴と揃いのルージュの赤はその人の色なのだ。 対して、その自己主張の強い赤を困惑したように見ている主は淡い色の口紅をつけるのだ。 時に色つきリップクリームで済ませてしまう主に対する親心なのだろうか、と燭台切は年齢不詳の女性を思い浮かべて思う。 「赤すぎるなー、誰かにあげようかな……」 主は最初の一本をテーブルへ立てると、もらってきたルージュスティックへと手を伸ばして次々にそれを繰り出した。 並んだ赤は密やかなグラデーションを作りつつも、みな煽情的な赤、紅、あか、アカ。 「結婚式とかならいいんだろうけど、日常とかだとちょっとね。使いきれないかも」 そう言う主のとなりになにとなく腰をおろし、燭台切は主が並べたそれをひとつひとつ手に取った。主が不思議そうに近くなった距離で見上げてくる。 そして彼はひとつに定めて、それを改めて手に取り 「これ、いいんじゃないかな」 と主に言った。すると彼女は顎を引いた。 「派手」 一言そう言った彼女の顔が興味なさげに逸れかけて、燭台切は思わず空いた手でその顎の行方を優しく制した。 彼と異なる正しく人の色をした黒い瞳が困惑したように見上げてくる。 珍しく庇護欲と何か別なものを煽るようなその視線を受けて、燭台切は苦笑して一旦スティックをテーブルへと置き、行儀が悪いと思いつつ黒い手袋の中指の先を歯で掴んでそれを取り去った。 制した顎が震えた気がしたが、彼はそれを無視して肌をさらした手でまたスティックを取り上げる。 「塗ってみないとわからないよ」 そっと顎から手を離せば、主は目をパチクリさせるだけだったので苦笑しつつ手袋のあるほうへそれを渡し、晒した薬指で紅の先を撫ぜて、彼女がその行動の意味を察して身を引く前にまた手袋のほうで細い顎を捕まえる。掴んだままのスティックは器用に彼女と彼の手の間に空間を作った。 手の中で引かれた顎に、彼は彼女の黒い瞳を見た。 「顎を前に」 密やかに言えば彼女は従う――常と逆転した状況に彼は裏返ったような悦びを覚えた。 だがそれは口元の友好的な笑みに隠してしまうと、薬指をそっと柔らかな唇へと乗せた。 一筋そこをたどれば、観念したかのように女の唇が弛緩してわずかに開く。協力的なその仕草に赦されたのだと彼は思い、縁を慎重に彩り、ふっくらとしたそれに触れる。 顎を支える手が彼女の喉の動きを読み取った。 「はい、できたよ」 そっとまず薬指を、そして添えた手を話せば女の目が泳いだ。そして彼女はぐるりと部屋を見回して立ち上がり、鏡台へと向かった。 彼女は彼と揃いの薬指で顎に触れ自分の姿を見ている。遅れて立ち上がった燭台切は人気の美容師よろしく鏡の中の彼女を覗きこむ。 「変じゃないよ、肌の色と合ってる」 濡烏の髪に赤の唇。それを金の目で眺めて、彼はひどく満足した。 そんな彼を鏡の中から彼女は睨め付けて鏡台へ手を伸ばす。手に取ったのは、メイク・オフ用のウェットコットンだった。 ――マッタクモウ、などと言いながら女は男の指に残るあかを拭った。 刀を握る彼がつける、常とは異なる赤を拭ったのだ。 優しく指を撫ぜる冷たい感覚に、ぞくりとしながら男は言う。 「似合うから、使ったら? あげちゃうなんてもったいない」 また黒い瞳と――紅い唇が見上げてくる。男は笑った。 「――考えとく」 女はその唇でボソリと言うと、ひょいと向こうを向いてしまった。 燭台切が苦笑して、もっと言葉を舌へ乗せようとすると廊下のほうから彼を呼ぶ声がした。 歌仙がなにやら料理のことで彼を呼んでいるのだった。 「わかったよ!」 腹から出した声を廊下のほうへ声を投げて、彼はもう一度主と向き合う。 「あげちゃダメだよ?」 と念を押して肌の晒した手を振って、部屋を出る。廊下へ出たところで手袋を嵌めかけ、ふと薬指に触れる。 ――そうだ。 と男は思った。 ――今度は僕が色を選ぼう。お下がりじゃない、彼女に一番似合う色だ。 彼はその考えにひどく満足しながら――そして手袋をはめる一瞬前、無意識に薬指の腹で自らの唇に触れたことには気づかずに――台所へ向かった。 だから、男は女が男の指を拭ったコットンをしばらく口元に当て、唇に残った指の軌跡をたどるかどうかをじっと鏡の中の自分と話し合っていたことを永遠に知らない。 (了)
[初出]2015年7月(http://privatter.net/p/928333)
[加筆修正・再掲載]2015年10月17日