その日大倶利伽羅は気まぐれをおこした。
「……アンタ、光忠のこと燭台切って呼ぶんだな」
「……え?」
居間で分厚い書籍――電子ではなく紙である――に目を落としていた審神者が目をあげる。
部屋の中央のちゃぶ台と部屋の隅――その間で二つの視線がかちあう。
「……そういえば大倶利伽羅は光忠とか貞宗呼びだね。伊達ではそれぞれ一振りずつだったの?」
「さあ、忘れた」
「……忘れたってねぇ……。あ、じゃあくろんぼ――あるいは鞍切りかな――のことは、景秀って?」
「そうなるな」
光忠、貞宗、景秀はそれぞれ、刀を打った刀匠の名である。刀たちは時に、お互いを刀匠の名前で呼ぶのだ。その場合、かつての所有者のところでそれぞれの刀匠の刀は一振りしかなかった場合が多いようだ。
大倶利伽羅が刀匠の名で呼ばれないのは、銘がないためだ。日本刀の刀匠のなかでももっとも著名な人物の一人であり、相州伝を確立させた正宗の息子ともされる「広光」という刀工によるものだ、と一般的に言われているが、銘がないためか作り手については本人もあまり言及したがらない。
「大倶利伽羅」とは「号」であり、刀身に倶利伽羅竜が彫られていることからそう号されている――名付けられているということなのだ。
「ふぅん」
「……終わるなよ」
「えっなんだっけ?」
主の知的好奇心は満たされたらしい。自分が明確な形で疑問を呈していなかったことに舌うちしつつ、大倶利伽羅は言う。
「燭台切ったのはカッコつかないだの、言うだろ、あいつ」
「うん」
「だから」
「……」
主が眉間にしわを寄せるのが見えた。だが、察したらしい。小言は言わず主は言う。
「燭台切っていうのがカッコ悪いと思ってるんだから光忠って呼んであげれば、ってことね?」
「そこまでは言ってない」
「言ったようなものでしょ」
はあ、と主がため息をつく。
「光忠って呼ぶとイワノビッチさんって呼んでるみたいでどうもねぇ」
「は? 岩?」
主は時々わけのわからないことを口走るのだ。大倶利伽羅が思わず繰り返せば主は笑う。
「イワン・イワノビッチ・イワノフ」
「……」
「ロシアとか人の名前の形式ね。古い形の名前。イワンさんちのイワンの息子イワン。
イワノビッチがイワンの息子って意味ね」
「へぇ」
「光忠、ってそういうことだと思うの。光忠の打った刀、つまり光忠の息子ってことでしょ、広く言えば」
なるほどたしかに、とは大倶利伽羅は声にはしなかったが、主は読み取ったらしい。ひとつつうなづくと再び主は本に目を落とした。
「光忠って意外と残ってるし、混乱してもいやだしねぇ」
大倶利伽羅は「ふうん」と言った。それで、終わるともなしに会話は終了した。


のではあるが。

それからしばらく後、内番から戻ってきた燭台切にふと主が声をかけた。
居間に入ったばかりの燭台切は立ったまま言葉を受けることになる。
「ねぇ、もしかして光忠って呼ばれた方が嬉しい?」
「……どうしたの、藪から棒に」
着替えたばかりで髪が気になるのか、手櫛を入れかけていた手を燭台切は止めた。
「大倶利伽羅がね、燭台切はカッコつかないって言ってるから光忠って呼んだ方がいいんじゃないかって」
「……言ってない」
むっつりとした声が居間の隅から上がり、燭台切は笑った。
「“倶利ちゃん”は優しいなぁ」
「“倶利ちゃん”はやめろ。それから、言ってない」
あはは、と燭台切は大倶利伽羅の言葉を右から左へ流した。
「僕は別にいいよ。実はそこまで気にしているわけじゃないし。主(キミ)はどうしたいの?」
うーん、と審神者が首をかしげる。
「ローマ人の多くはガイウスさんだった」
「うん?」
「昔あったとある国では、個人の名前は8つくらいしかなかったの。家の名前はたくさんあったんだけどね。だから、街でガイウスさん、っていうと8割の人が振り返ったんじゃないかって話があるの」
「……じゃあ名字とかで呼び合ってたんだ?」
面白いね、と燭台切が言うと審神者は笑う。
「ね。……たとえば、今後審神者の会議があったとします」
「うん」
言いながら、燭台切はごく自然に主の傍へと座る。視線が近くなる。
「で、その会議には、近侍として光忠さんのとこの子もたくさんいるかもしれない」
「可能性は高いね」
「でしょう? そこで私が『光忠ー』って呼んだら、いっぱい振り向かれそうだよねぇ」
「あはは、兄弟たちが一斉に、なるほどねぇ」
怖いわ、と隅の方で大倶利伽羅が言う。二人は笑った。
「でも、燭台切、だったら振り向くのはあなただけだよね?」
「そう、だね」
「だから私は燭台切のほうがいいかなーと思うの。どう?」
燭台切は目を細めた。
「君が僕だけを呼びたいっていうのは嬉しいかな」
「じゃあ、燭台切、でも問題ない?」
「むしろ今の理由だったら歓迎、かな」
よかった、と主が笑う。それから、彼女は大倶利伽羅を振り返った。
「いいって!」
「ああ、そうか、よかったな」
大倶利伽羅は極めて興味なさそうにこたえる。
その二人のやりとりを見ながら、燭台切は思った。
――でも、きっと僕は君がどんな呼び方をしてもわかるよ。
と。そしてそれを口に出そうと思ったが――大倶利伽羅がこちらに視線を寄こして、何かに勘づいたのか心底嫌そうな顔をしたので胸にしまっておくことにした。

(おしまい)

[初出]2015年2月16日
[加筆修正・再掲載]2015年10月19日