「侯爵 徳川圀順氏 新小梅町
同家は宝蔵一棟助かりて書画茶器の類は幸いに無事なりしが、他の一棟に於て刀剣の全部を焼キしたり、その総数約一百六十餘口、拵の小道具類全部約二千點と註せらる、刀剣被害の大なるは同家をもって最となす、但しその記録は文政年間に編纂せられたる『武庫刀纂』に詳記せられ、又其の図画も頗る精密なり、今同書に依て重要なるものを摘録す
(中略)
備前光忠刀號燭臺 無銘
 長二尺二寸三厘 ハバキ元九分九厘 横手下七分三厘 厚二分二厘 反五分
 伝云、仙臺侯政宗近侍之臣有罪、隠于褐銅燈架之陰、政宗乃斬之、燈架倶落、故名之曰燭臺斫、燭臺乃燈架俗稱也
 義公甞臨于政宗第、政宗持此刀語其由、終乃置之坐右、公将歸請是刀、政宗愛之不興、公乃強持之去云」
国華倶楽部編『罹災美術品目録』昭和8年 209頁-211頁

「……いやいや」
画面に表示された懐かしい活版印刷の文字に、「やはり筆字より活字は読みやすい」と思いつつ雫石は頭を抱えた。
「燃えてますけど、燭台切」
眺めていたのは大正時代に起こった大災害・関東大震災で失われた、あるいは損なわれた美術品の調査目録だ。察するに国ではなく民間が作ったものなのだろうが、地域ごとに寺社仏閣から個人にいたるまで調査されており、頭の下がる代物である。
――という先人への畏敬の念は置いておいて。
とうの昔に著作権の保護期間を満了しデジタル化されたその資料が彼女に頭を抱えさせるのだ。
「ここでも政宗は政宗なのね……まあ貞山とか書くの領内史料だけにしてももっと別な――そこじゃないか。うーん、“義公”?」
言いながら、彼女はホログラム・パネルに声をかける。
「伊達政宗生没年、徳川光圀生没年、並列表示」

『伊達政宗:永禄10年8月3日(1567年9月5日)〜寛永13年5月24日(1636年6月27日)
 徳川光圀: 寛永5年6月10日(1628年7月11日)〜元禄13年12月6日(1701年1月14日)』

デジタル化された活版の上に、ホログラムは正しく命じられたものを表示する。
「うーん、可能性としてはなくはないけど……一世代前かしら。さらに徳川頼房の生没年を二人の間に表示」

『伊達政宗:永禄10年8月3日(1567年9月5日)〜寛永13年5月24日(1636年6月27日)
 徳川頼房:慶長8年8月10日(1603年9月15日)〜寛文元年7月29日(1661年8月23日)
 徳川光圀:寛永5年6月10日(1628年7月11日)〜元禄13年12月6日(1701年1月14日)』

ホログラムは規則正しくもう一人の生没年を表示した。
「成程」
雫石は一人言うと、ホログラムにまた命じる。
「せっかく典拠書いてあるんだから、ね。写し間違いは想定すべきだし、原典を見てみましょう。『武庫刀纂』を出して」
ホログラムはまたしてもすぐに反応して「検索中……」と表示する。
いつもなら、ここで史料がすぐに彼女の目の前に表示される。しかし、今は
『エラー : 対象サーバーメンテナンス』
と表示された。雫石はしばし目をパチクリさせると
「検索対象を拡大。国内の全図書館を検索」
と命じた。23世紀に於いてデジタル・ライブラリーは複数ある。どこか一か所だけを指定検索していたかしらと首をかしげて対象を拡大したのだ。
しかし。
『エラー : 対象サーバーメンテナンス』
という文字が再び現れた。
「え、全部? 国内一斉に?」
妙な事態だ。各図書館が一斉にメンテナンスに入ったというのか。
気を取り直して、雫石は命じる。
「検索対象をさらに拡大。大英図書館およびアメリカ議会図書館を――」
「刀剣関係の史料なら今全メンテナンス中だぞー」
後ろから突然声がかかり、雫石は、ひ、と小さく声をあげた。
振り返れば、津野――大学院の先輩であり、三日前から所属先の上司となった男――である。
「お前もうちっと可愛い悲鳴あげたら満点なのにな」
「吃驚すると声でなくなる性質なんですよ」
「それ襲われたときまずいぞ?」
ここはとある病院――政府関係者が受診する病院である。高級な革張りのソファと清潔な壁、人の行きかう廊下には塵ひとつない。ロビーには同時に暇にあかせた――落語のネタになるような――老人はおらず、熱に苦しむ子もいない。一見すれば高級ホテルと見間違えそうなつくりだ。
そのロビーで雫石はラップトップ端末――といっても小さなキーボードにホログラムの画面ととても小型化したもので21世紀までのものとは全くの別物と言っていい代物だ――で調べものをしていたのである。
「音声検索もやめとけ。いろいろ聞かれてるぞ」
「……簡易キーボードなんですよ。キーが足りなくて、仕方なく」
「あー進むとか戻るとか決定しかないやつな」
「それと電源」
言いながら雫石はそのボタンを押した。ホログラムが消え、長方形のごく薄い板状の機械だけが彼女の膝に残る。
その間に、待合椅子の後ろから覗き込んでいた津野は行儀悪く背もたれを跨いだ。
「先輩、もうお子さんいるんですから」
「ここにはいなーい」
「それヘリクツって言うんですよ」
盛大に息を吐き出しつつ言っても津野は懲りた様子はない。
雫石はまたため息をつくと、話題を戻した。
「刀剣の史料のメンテナンスって?」
「文字通り。刀剣関連史料のメンテナンスをしている。ま、簡易の閲覧制限だな」
「……なぜ」
「恣意的行為、だそうだ」
津野は声を一段小さくする。
「歴史修正主義者が刀剣の一次史料にアクセスしていることがわかってな。それで『俺たちはお前たちに気付いているぞ』っていう声無きメッセージを発するためだそうだ。ま、二次資料や文化庁(うち)の調査資料なんかは閉じてないし、だいたいデジタルデータならコピーすりゃ二度もアクセスしないからね。どの程度効果があるんだか」
「……」
「それこそ『銘尽』とか『享保名物帳』とかコピー誰でも持ってんだろ。……お前だって今は『武庫刀纂』にアクセスはできなかったけど、それから情報(データ)引っ張ってきた『罹災美術品目録』にはアクセスできただろ。意味ねーって」
「……なんでそんなことしてるんですかね」
「知らん。文系の預かり知らんところで世の中動いてんだろ」
俺ら政治家でも軍人でもねーしな、と津野が言い、思わず雫石は辺りを見回してしまった。ここは、少なくとも政治に関わる人々が出入りするのだ。……その意味では、一応官僚のはしくれの津野も、本来ならそちらにカウントされるはずなのだが。
「それで、『武庫刀纂』見たいならなんとかするけど?」
「……まあもちろん、元の史料で政宗と接触したのが威公こと頼房なのか義公こと光圀なのか確かめたいところではありますが――」
そうすればある程度江戸初期における伊達家と水戸徳川家の交流史とか外交史が――幕末まで目を向ければ、最後の仙台藩主伊達慶邦の継室は水戸藩9代藩主徳川斉昭の娘八代姫なのだ――見えてくるかもしれないし――とは口の中で呟くにとどめ、別なことをはっきりと舌にのせる。
「……それより、燭台切光忠、関東大震災で焼失してるんですが」
「おお」
「いや『おお』じゃなくて」
三日前のことだ。彼女は『燭台切光忠』と呼ばれる――あるいは名乗る――太刀の付喪神と結んだ。歴史修正主義者という輩と相対するためである。
彼――そう、彼、男なのだ――は、彼に名を与えた伊達政宗の姿を彼女に見せた。それが夢だったとはあまり思いたくないし、“肉体を纏った”という燭台切自身と握手をした彼女はそれが壮大なドッキリだとも思いたくはない。
ところが、彼の“本体”である燭台切光忠という太刀は大正12年、西暦1923年9月1日に発生した関東大震災に伴う火災で焼失した、という記録が残っているのである。たくさんの刀剣とともに、長船派の祖の刀のひとつは鉄屑に戻った――と。
最後の持ち主は徳川圀順、場所は東京の旧本所区、改変以来の区割りで言うと墨田区の南部にあたる――もっと正確にいえば、小梅邸と呼ばれたその場所は今は公園になっている――場所だ。該当地区は9割が焼失し、五万人近い死者を出した、という記録がある。
「失せものが出てくることなんてよくあるだろ。秋田の田沢湖で絶滅したクニマスが70年後に山梨で見つかってんだぞ」
「……まあ、そうなんですけど」
むう、と雫石は中空を睨みつけた。
「――……彼、前の主は伊達政宗、って言ったんです」
「うん?」
「あのあと、少し話をして。『前の主は伊達政宗』、って。……少なくとも江戸初期から大正12年までは水戸徳川家にあったんですよね。それだったら、前の主は徳川圀順、か、文化庁に寄託した人になりませんか。 たしか、彼、文化庁寄託品ですよね?」
「……その辺のことは、本人に聞けばいいじゃねぇか」
「圀順氏はともかく、今の持ち主は? 寄託ってことは保管とかを任されているだけで所有権は移転してないんですよね? 今の持ち主可哀想じゃないですか!」
「しらねぇよ! ……刀剣男士の所属意識と人間側の所有権の認識にズレがあるんだろ」
津野は乱暴に言い放つと、はぁーっとため息をついた。
「こまけぇとこが気になるのはお前の長所かつ短所だなぁ。だから博論書けたんだろうけどさ」
「それと別にもう一つ気になることが」
「まだあんのか!」
津野がのけぞって天を見上げたのは無視して、雫石は続ける。
「……大正期に焼失したせいだと思うんですけど、燭台切光忠は写真等の資料がないんです。『武庫刀纂』のほうには図があると読みとれるんですけど、軽く調べられる範囲でより細密な図画はないのは確かかなと。銘もここに書いてあることを信じれば無銘、つまり彫られていないか削られたことになります。……彼がイコール燭台切光忠だと、だれが特定したんですか? 先輩、私が彼を“呼ぶ”前に号を特定してましたよね。『作業に差し障りがあるから伝えない』ですもん」
津野が姿勢を戻した。どことなく困った顔をして後輩を見てきた。
「……。持ち込んだ人間が燭台切光忠だって言ったんだよ……」
「……その方は刀剣の愛好家かなにかで? どうやって特定したんでしょう?」
「……、ごく一般人だ、な。特定は……どう、やったんだろうな」
「文化庁は素人の意見を鵜呑みにした?」
「簡易鑑定で光忠の作の可能性はかなり高めに指摘されたし……、図画はともかくサイズの記録が残ってんじゃねぇか。その辺だろ」
「その辺」
「だーっもうっ、本人が燭台切光忠だって言ってんだからそうなんだろ! 以上、終わり!」
「……まあ、それは信じるしかないですけど」
付喪神自身が嘘をついたりしているとは雫石には思われない。まず、詐称する理由がない。詐称したところで彼に何のメリットがあるというのだ。それにどこの誰が作ったものともわからない刀ならともかく、簡易鑑定で光忠の作風が認められたものなら尚更だろう。
――それに。
と彼女は付け足す。
――あの政宗公、偽物だとは思えない。
雫石は“彼”が見せてくれたものを思い出す。遺骨から復元された顔とほぼ変わらない顔立ちに、白濁した右目。それから声、と彼女は思う。遺骨からは声も計算されて復元されていたのだ。数度聞いたことのあるその声と“彼”が聞かせてくれた声は、とてもよく似ていた、と思う。調べれば見当が付けられる眼帯の有無はともかく、そこまで似ているものを面識のない者が作り出せるとは彼女には考え難かった。
「うーん、じゃあ燭台切光忠については焼失とされていたものが再発見、ってことでいいんですかね」
「そうそう、失せもの出てきた、ってな。……詳しい鑑定はこの騒ぎが一段落したらになるな。なにせ、下手に調査して公表して『大長船派展〜刀から包丁まで〜』なんてのを企画されてもっていかれたらたまったもんじゃない」
「それもそうですね」
大げさな身ぶりでうんざりした様子を表現した津野に、雫石は笑い「この話題はそういうことにしておこう」と胸の中で呟いた。そしてこの話題を脳の片隅へしまい込んだ――ちなみにその様子をうかがっていた津野が、彼女がこの話題をとりあえず片付けてくれたのを読みとり、そっと息をついたことには気づかなかった。

参考文献:国華倶楽部編『罹災美術品目録』昭和8年
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[初出]2015年3月21日(http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=5072032)
[加筆修正・再掲載]2015年10月16日