[初出]2015年3月21日(http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=5072032)
[加筆修正・再掲載]2015年10月16日
――そもそも、なんで病院に来ているか、というと。 事は三日前のことである。燭台切と出会ったあの日あの時あの部屋で、津野が言った。 「……ときに、燭台切、お前には検査入院してもらう」 「……けんさにゅういん?」 雫石の傍らの付喪神が首をかしげる。その動作は容姿の割に可愛らしい印象があり、見上げながら雫石は目をパチクリさせた。 「お前、喋って歩くことはできるんだな」 「うん、問題ないよ」 黙っていればどこか鋭いものを感じさせる容姿だというのに、唇から零れる声は優しく、言葉は柔らかい。なんともギャップがあるなぁ、と雫石はぼんやり思ったものだ。 「で、食べることはできるか?」 「……まだ試してないから、わからないなぁ」 「経験上、十中八九無理だと思うわ」 思案げに顎を撫でた燭台切を津野はあっさりと切り捨てる。容赦ないな、と呟いて燭台切は今度は髪に手を差し入れた。 「今までの付喪神もな、いきなり固形物は受け付けなかったんだよ。そんなわけで、まあ、三日から一週間はお前さんが纏ったその肉体に問題ないか検査しつつ、胃腸をはじめその他もろもろの訓練をする。てなわけで入院すべし」 「――僕に選択肢はなさそうだね。君は問題ない?」 燭台切は言いきった津野に苦笑した後、雫石に向き直った。 「――うーん、いきなり仕事があるわけじゃなさそうだし、私もまだいろいろ説明うけないといけないと思うから、何も問題ないと思う。というか――」 雫石はそこで、わずか首を傾けた。 「あなた、こっちでも“肉体を纏える”のね。てっきりタイムジャンプ先でだけなのかと思った」 言うと、燭台切は目を見開いた。そして彼女に笑いかけた。 「どうも悟朗ちゃんは説明が下手みたいだね――」 と言いながら。 それから三日。今朝がた、津野から 『おうお前、燭台切迎えに来い』 と電話があったのだ。そして今に至る。察するに、身体検査と人間の生活への適応訓練が終了したのだろう。 頭の片隅でこれまでの出来事を総ざらいしていると、津野が行くぞ、と言った。ロビーを後にし病棟に入る。 白い廊下を抜けて奥へ奥へ――すれ違うのはどこか品のいい患者と、忙しく働く病院関係者だ。 辿りついたのは、何の変哲もない引き戸式の病院のドアだった。 雫石は部屋番号の方を見るともなしに見たが、そこは政府関係者が来る病院だからなのだろうか、名札はそもそもなかった。 「失礼しまーす」 津野がそう言い、やや遠慮がちにドアを引いた。 「あら、いらっしゃったわ!」 すると中から元気な声が響いた。雫石は津野に続いて中に入り、ドアのほうへきちんと体を向けてそれを閉めた。ここ最近の面接続きで適当なドアの締め方を忘れてしまったらしい、とため息をつきつつ振り返ってみれば、白衣の女性と――スーツ姿の男が一人。 ――鎧と燕尾のジャケットはさすがにやめたのね。 雫石が思わずそう思ってみれば、燭台切が気づいて低い位置でひらひらと手を振ってきた。思わず雫石も手を小さく振り返してしまう。 「師長、お世話かけました」 津野が礼儀正しく言うと、師長――看護師長はいえいえと笑う。 「いままでの人たちよりずーっと楽させてもらったわ。食事にわがままは言わないし、検査も素直に受けていただいて。消灯時間にはきちんとベッドに入っているし、起床時間にはすでに熱も計ってあって。しかもイケメン! 若い子たちが喜んで喜んで」 最後の一言に三人はそろって苦笑した。 それから師長は雫石の方を見た。 「食事はもう普通のもので大丈夫です。なんでも食べさせてあげてね。食事は人間の楽しみのひとつだから」 「はい」 燭台切は師長の隣から雫石の傍に移動する。思わず雫石が見上げると、彼は笑顔を向けてきた。雫石もぎこちなく笑みを返す。 「――んじゃあ、俺はいろいろ手続きとかしとくから、お前ら先に施設に向かってくれるか?」 津野の言葉に雫石と燭台切はこっくりとひとつ頷いた。 玄関前に戻ると、津野が呼んだらしいポッドが到着していた。雫石は先に燭台切を乗せ、自分も乗り込んだ後ドアを閉めた。 ポッドには運転席がなく、座席は向き合う形で配置されている。自然と向き合う形になってしまい、若干なんとなく気まずい空気が流れた。 ポッドが音もなく動きだす。 雫石と燭台切は見るともなしに流れゆく景色を眺めた。 「――三日間、なにしてたの?」 やがて口を開いたのは燭台切だった。雫石が彼に目を向けると、燭台切はすでにこちらを見ていた。 「……こういう特殊な事態だから、官舎に入ることになって。……官舎っていうかだだっ広い日本家屋なんだけど……本丸、って呼ぶ人もいるみたい。昨日までアパートで荷造りして、今朝業者さんに全部お願いしたの。……要するに引っ越ししてたわ」 「成程」 「私、あなたと暮らすんですって。……歴史修正主義者、なんていうとカッコつくけど、要するにテロリストだから」 「そのテロリストから君を守る役目も僕に期待されてる、って悟朗ちゃんが言ってたよ」 「……説明、うけてるのね」 「もちろん」 ――歴修正主義者なんて言うと若干のカッコよさがあるけど、要するにテロリストなんだよな。で、こっちとしては歴史の保護活動と同時に、現代におけるテロリスト捕縛作戦も同時に展開してるらしくてな。こっちが物理的にしょっ引こうとしてるんだから、あっちがこっちを物理的になんとかしようと思ってないわけがない、ってわけだ。 津野は三日前、引っ越しの必要があることを説明した時、雫石にそう言った。 だから、政府機関の管理する家に入ってほしい、ということだった。 突然の引っ越し要請にごねかけていた雫石も、説得力満載のことを言われては仕方ない。事実、審神者の多くもその指示に従い、管理区域ですごしているらしい。 そして、さらにもしものために政府は付喪神――特にこの作戦に参加する付喪神を刀剣男士と呼ぶらしい――に現代においては審神者の護衛という役割を与えた。 刀たちはおおむね、現代におけるその役割も気に入ったらしい。戦い、守る――それが彼らの生まれた意味だからだ。 しかし。 ――まあ、普通に護衛頼むより人件費かからんしな。その辺の打算、多分あるわ。 ……と津野が言っていたことを思い出し、雫石はため息をつき、思わず俯いた。 「どうしたの?」 柔らかい声と言葉が降って来て、ふと見れば燭台切が顔を覗き込んできていた。 「わ」 その近さに思わず小さく声をあげて身を引けば、燭台切は驚いた顔をした。 「ごめん、近くびっくりした」 「あ、うん――わかった」 やや要領を得ない顔をしているものの――もしかしたら人との距離の取り方がわからないのかもしれないと雫石は思った――燭台切は察してくれたようだ。少し距離を取る。 「イケメンだからあんまり近いとびっくりしちゃう」 雫石が胸を抑えておどけてみせれば、燭台切は困ったように笑った。 「それ、病院でもすごく言われた。褒められてるのはわかるんだけど――なんとなく意味がとれなくて」 言われて、雫石はうーん、と燭台切の顔を見た。眼帯はともかく、とても整った顔立ちだ。鋭い形をした目に宿る色は優しく、全体の印象を和らげ、口もとはきりりとし、鼻筋も通っている。少し癖の見える髪は柔らかそうだ。 「男前ほどごつくなく、色男ほど艶っぽくもなく、美男ほど高根の花感はなく――でもやっぱりかっこいい素敵な人、って感じかな」 「比較の例示されるとなんだかあんまり褒められてる気がしなくなってきたなぁ」 ははは、と苦笑して燭台切は言う。 「でもかっこいい、は嬉しいな」 素直に笑う燭台切に、なぜか雫石はほっとした。 ――付喪“神”だから気難しかったらどうしようかと思ったけど、優しそう。 これから一緒に“仕事”をするのである。良いヒトであればそれに越したことはないのだ。 「付喪神でもかっこいいって言われるの、やっぱり嬉しいのね」 「そりゃあもちろんだよ。……うん、それもあるけど、人の姿になったからにはいつ誰が見ているかわからないしね、それに――」 「いつ何が起こってもいいように、何が起こってもすぐ動けるように、格好は整えて手は綺麗にしておけ?」 「そう! ……やっぱり政宗公のこと、知ってるんだ」 「文字だけで、だけどね」 「うん――口でも何度も何度も小姓や家臣たちに言っていたんだ。それこそ口を酸っぱくしてね」 だからこの時代の「ちゃんとした格好」をしてきたんだ、と燭台切は自分の格好を示した。政宗の残された言葉のなかには「恰好を整えること」に関することがいくつもあるのだ。彼はその遺訓を護って顕現――“肉体を纏う”ことをこの二字であらわすのだ――したということなのだろう。上下のスーツは、確かに現代における正装で、時に盛装にもなるものだ。さらに彼はそのスーツを着崩してはいない。シャツのボタンはきっちりとしめられ、ネクタイも結び目の三角形が美しい。ジャケットの袖口はシャツの袖口が一センチほどのぞき、着席した今はそのボタンは全て外されている。それはスーツの“正しい着方”のお手本のような姿だった。それでいて野暮ったいところがなくスマートに見えるのも、伊達男にまつわる付喪神だからだろうか、と雫石は思う。 「そんなにちゃんと着ている人、初めて見たかも」 「そうなの?」 「うん、津野先輩はジャケット開きっぱなしだったりしめっぱなしだったり、教授たちはジャケット体にあってなかったりとかするし。でも、いまの人ってそんなもんなんだよね」 「そうなんだ」 「そうなの」 それからふと、雫石は言った。 「そうだ。面接じゃないんだから、ネクタイくらい緩めていいよ? なんだか緊張しちゃう」 燭台切は左目を見開いた。 「そう? ……変じゃない?」 「そのくらいだったら、みんなやってるから平気だと思う。……政宗公が怒るかな?」 政宗が生前「流行っているからといって見た目にだらしない格好をするのはどうなんだ」という趣旨の言動を遺していたことを雫石が思い出して言えば、燭台切は苦笑した。 「そうだねぇ。……そもそもネクタイを掴まれたら命にかかわる、とか仰るかもね」 「首も締められるし、動きも封じられるから?」 「そうそう。でも、そんな時代じゃないんだよねぇ」 そう言いながら、燭台切は窓へ目を移した。車窓に映るのは、歩道を行きかう人々と高層ビル群――ビルの中ではある種の戦いは行われているのであろうが、斬った張ったの戦いはもちろんどこにも見えない。 雫石もつられてそれを見る。それは、彼女にとって普通の光景だ。ふと、燭台切にはそれら平穏な景色がどう映っているのだろうと思う。 「君が――」 呼ぶ声がして、雫石は向き直る。まっすぐに蝋燭の灯りの色をした瞳と視線がぶつかる。 少し首をかしげて、彼女はそれを受け止めた。 「君がそう望むなら、そうするよ」 言って燭台切はネクタイの結び目に黒い手袋に包まれた手を伸ばし、わずか、それを緩めた。 雫石は苦笑して 「命令じゃないのよ」 と言った。 対抗歴史修正主義の特別チームへは様々な官庁から職員が出向しているという。そうではあるのだが、津野以下文化庁のものは勤務地は変わっていない。付喪神あるいは刀剣男士といわれる存在が文化庁管轄化の文化財である刀剣の類であるから、その本部は文化庁の地下、もとい、文化庁は文部科学省の外局であるから文部科学省の建物の地下にあるのだ。 ――文官の施設で最も戦闘行為から縁遠そうだからここに本部を、っていうのもありそうだけど。 雫石はポッドを降りて建物を見上げる。 隣に立った燭台切が覗き込んでくる気配がした。 「――どうしたの?」 「ううん、なんでも。いきましょう」 すれ違う女性職員がもれなく燭台切に目を奪われているのを感じながら、彼女達は地下へ通じるエレベーターへ向かった。 辿り着くと、やはり無機質な廊下が広がる。雫石はいくつか並ぶドアのうちひとつを選ぶと、辺りを見回している燭台切に手招きした。二人で並んでドアを開ければ、広がっていたのはごく普通の事務方のオフィスである。 数人の事務職員がパソコンに向かって仕事をしている様は、普通のオフィスとなんら変わらない。休憩用のテーブルに観葉植物、手前のデスクは対向式の島型に置かれている。その近くには折り目正しく白いカウンターがしつらえてある。その島型に組まれたデスクで作業をしていた職員が一人、ひょいと顔をあげた。 「ああ、雫石さん……と、燭台切光忠」 その言葉に職員たちがパラパラと顔をあげ、こちらを見た。燭台切は少々驚き、雫石は苦笑した。 「今日から訓練に入ります」 「ああ、そうだったね。津野さんが初日に説明したから奥の席はもうわかるね。そこにいろいろ置いてあるから、それ持って部屋に行って」 「はい、わかりました」 職員にそう言うと、雫石は燭台切に再び手招きをしてカウンターの中に入った。 奥は手前とは違いパテーションでデスクが仕切られている空間が形成されていた。 「ここが君の?」 「うん、ブースもらえるみたいね」 「ブース……」 「半個室の作業場所、みたいなものかな」 言いながら雫石は着席し、パソコンを付けた。ホログラム画面が展開する。 「事務仕事もなにか発生するみたいね。とりあえずは業務日誌だけど」 ホログラムが雫石の声に反応し、テキストエディタをたちあげる。 ひな形はすでに形成されている。雫石は一度、着席してそれに向き合った。 「作業開始日時に現在の日時を入力」 すると、あっという間にその欄が埋まる。 「へえ……」 肩から燭台切が覗き込んでくる。雫石はその近さに一瞬びくりと体を震わせたが、気を取り直す。 「バイタルデータ連動入力開始。ID、SH-001MS」 「バイタル?」 息がかかりそうなほど近くで燭台切が声を発し、やはり雫石は椅子の上で身じろぎしてわずか距離をとった。 「ええと、脈とか、心拍数とか。タイムジャンプ中のデータを取るの。こうしておくと、自動的にファイルにリンクが貼られて……」 「リンク……」 「参照先にすぐに行けるようにする機能、かな」 ふむ、と口の中で燭台切が呟くのが聞こえた。その音になぜか背筋が震え――不快ではないのだが――雫石はぐっと背筋を力を入れた。 「これ、毎日つけるの?」 「お役所だからね。仕事のある日は毎日。終わった後はその日やったことも入れなきゃならないの。飛んだ時代と場所とか、討伐数とか」 「なるほど、たしかに日誌だね」 言って、燭台切が肩から離れた。雫石はほっと息をつく。 ――イケメンだからかなぁ、妙に緊張するわ。 まあ、それでなくてもこんなに近づかれたら緊張もするか、と胸の中で呟く。 それからふと雫石はパソコンの左手にある箱に気付いた。中にはガス圧服が入っている。 それを箱ごととりあげて、雫石は肩越しに燭台切を振り返る。 「それじゃ、行きましょうか」
[初出]2015年3月21日(http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=5072032)
[加筆修正・再掲載]2015年10月16日