「じゃ、始めるか。燭台切もスタンバイしてくれ」
「わかった」
言って彼は、円盤型の転送装置の上にひょいと乗る。すっと左目が閉じられて、一瞬後、まばゆい光と共に桜が舞った。光に目を奪われた後、視界が戻れば、掛台に太刀が収まっていた。
「生体のままじゃ転送できないからな」
その隣に津野がボール型の機械を置く。
「それじゃあ俺はモニタリングルームにいるから」
「はーい」
言いながらドアへ向かった津野を見送って、雫石は背もたれに身を預けた。しばらくすると、また声が降ってきた。
『これより訓練を開始します。時空転送装置、起動します。電子回路グラス、連動を開始します。バイタルデータ取得および記録を開始……』
ぴりり、とこめかみのあたりに刺激を感じ、雫石は顔をしかめた。
『転送を開始します。転送対象、燭台切光忠およびボール・ドローン』
降ってくる声に、あれもドローンなのか、とボール型の機械の名称を知る。
『転送開始。30、29……』
転送装置にエネルギーが集まる気配がし、雫石はそちらを見た。やがてカウントダウン終了と共に、ふっとその二つが掻き消えた。
――あっけない。
映画にあるようなエネルギーの放出に伴う稲妻や大きな音はなかった。
『3、2、1。……着地を確認。スクリーンモニター、およびグラスへの情報展開を開始』
言われて雫石は正面へ向き直る。またぴりりと痛みが走った後、グラス面――というより視界全体に見覚えのない風景が広がった。
「野原……」
辺り一面にはだだっ広い野原が広がっている。遠くには青い山の稜線。どこかの田舎だろうか。それにしても地面が異様に近い。
その視界へ、黒い革靴が映り込んだ。そしてそれは膝をつく。
「これ……だよね?」
ひょいと持ち上げられて、現れたのは燭台切だ。カメラが彼の顔でいっぱいになる。
「ち、近い近い」
「あ、よかった。もう聞こえるよ。僕のことも見えるんだね」
にっこりと至近距離で燭台切が笑う。その笑顔へ、津野の声が被る。
『雫石、それ自立飛行……つーか浮遊できるはずだからやってみ。脳波操作だから』
「……聞いてないんですけど」
どうもやはり津野は、説明が下手らしい。
「どうすればいいんですか?」
『浮け! って思え。あとは自転車とかジャイロと一緒の感じで移動できるから』
「適当な……」
雫石はそれから五分ほど、感覚をつかむのに時間をかけた。その間燭台切はボール・ドローンを掌の上にのせてじっと待っていた。
やがて、やっとという感じでドローンが浮く。燭台切はドローンがしっかりと手から巣立ったのを見ると、腕組みをしてそれを見守った。
よく見れば、彼は現代にいるときは着けていなかった甲冑のような防具をこちらでは身に着けていた。やはりあれは戦闘用だったか、と雫石は思う。
「う、浮いた。あとは……曲がれ」
くるぅーん、とドローンが弧を描く。よろよろとまず時間をかけて燭台切の周りを一周した。二週目は少し早く。三週目はスムーズに。五週回る頃には雫石はコツをなんとか掴んだ。燭台切は笑いながらそれを眺めている。
『おっ、上手いじゃん』
「ちょっとこれ練習しないと……」
『まあ、そのうち慣れるさ』
雫石がドローンを燭台切の目の高さに制止させる。燭台切が手を振ってくる。それに手を振り返しかけて、雫石はあっちからは見えないのだ、と気付いて少し恥ずかしくなった。
『で、だ。これから模擬戦闘に入る――いまから展開するのはこれまでの戦闘データから作った偽物だ』
津野の言葉が終わると同時に、燭台切――と雫石のドローンから1メートルほど離れたところに一瞬光が集まった。光が消えると、そこには骨でできた蛇のような生き物が刃物を咥え、こちらを見ていた。
『歴史修正主義者の遡行軍の短刀兵だ』
「短刀? 向こうも付喪神――刀剣男士を使ってるんですか?」
『おそらくな。ただ、状況から見て無名の刀剣か、こんな風にタイムジャンプしたときに戦場で拾った刀剣を利用してるんだと考えられているんだが――雫石、命令しろ』
「は?」
『刀剣男士の総大将はお前だ。燭台切に命令しろ』
ああ、そうか……と納得して、雫石はカメラ――目を燭台切に向ける。
「あれ、倒せる?」
「もちろん――では」
燭台切は太刀――彼の本体なのだろうか――を青眼に構えると
「長船派の祖、光忠が一振り、参る」
と言って地を蹴った。
――名乗りの癖があるのね。
と思って見守れば、模擬敵の兵は一刀の元に掻き消えた。
「一撃」
『ホンモノはこうはいかねーけどな』
燭台切は血振りをして刀を収めると、ゆるりとこちらへ戻ってくる。
『……付喪神、いや刀剣男士はいわば兵だ。自分で進軍と撤退の判断は下さない。現場の判断は彼ら自身に任せられるが、それ以外はお前が命令するんだ。総大将』
「……と、言われても……」
『目を燭台切に当てろ』
少し手前で止まった燭台切の上にデータが展開する。
『刀剣男士の身体データなどは逐次参照できる。見逃すなよ。そしてシステムはお前に警告する』
見える風景の上に、数字と文字が現れる。52/52というのはなんだろう?
『それが体力とか生存率の目安の数字だ』
ピ、と音を立ててわずか、その数値が減る。
『負傷すると数値が減る。そして一定程度になると、システムが警告する』
数値が半分ほど減ると、燭台切の近くに『中傷』という字が現れた。さらに数字が減り、三分の一ほどになると『重傷』という文字が出る。
『ここまでは、肉の体に損傷を与えられているにすぎないが――』
津野の言葉が消えると、今度は『破壊』という文字が浮かび上がる。数値は0/52。
『こうなると刀剣本体に影響が及び、折れたり、文字通り破壊されたりして――付喪神は消える』
「……!」
『文化財としてもとんでもない損害になる。……進軍はこちらの計画もあるから、あまり考えなくてもいいが、撤退はよく見てお前が判断してやってくれ。頼んだぞ』
「……わかりました」
雫石は唾を飲み込み、津野にそう答えた。
――やっぱり責任重大かも。しっかりしなきゃ。
『じゃあ雫石が飲み込んでくれたところで。あと二、三戦しようか!』
雫石の決意とは裏腹に津野の声は明るく響いた。


二時間ほど、訓練が続きやがて津野から終了命令が下された。太刀に戻った燭台切と機能停止したドローンが転送される。雫石はグラスを外した。
「……」
――くらくらする……。
眼精疲労のような痛みが頭にある。
『今日はお疲れさん。あとは日誌付けて帰っていいぞ』
能天気な津野の声が頭に響く。それでも肘かけをあげて椅子から立ち上がろうとすると――くらり、と視界が揺れた。
思わず手を投げだす姿勢になると、その体は落下することなく温かいものに受け止められた。
「大丈夫?」
屈みこんだ燭台切が受け止めてくれていたのだ。すがるような姿勢になってしまっていた。
「うん、ありがとう――」
その肩に触れて起き上る。肩はがっしりしていて、いかにも男らしく頼もしいものだった。
一度椅子に戻り腰かける形になって、低い位置にいる彼に笑む。
「医務室で薬を貰って行こうと思うの」
「お供するよ」
手をまた差し出されて、ちょっと情けなく思いながらも雫石はその手を取った。手袋に包まれてはいるが、やはり頼りになる大きな手であった。

医務室で頭痛薬をもらい、服を着替え、日誌をつけ終えると、彼女は新しい家に向かうためポッドを呼んだ。
「頭痛はどう?」
行きと同じに向かい合わせになった燭台切が気づかわしげに聞いてくる。
「うん、だいぶ利いて来た。あとはあったかいお風呂に入って寝ればある程度大丈夫だと思う」
「そっか。よかった」
「心配かけてごめんなさい」
言えば、燭台切は優しく微笑んで
「気にしないで」
と言った。

政府から与えられた、本丸と呼ぶ者もいる日本家屋はただっ広い。
聞いたところによると、文化財級の古民家あるいは古いお屋敷などをある一定のエリアに移築し審神者たちを住まわせているという。
文化財“級”であるから実際には文化財ではないのだが、貴重な建築であるのには変わりはない。そこに人を住まわせるというのは一見矛盾しているように思えるが、建物というのは維持管理する居住者を失うと、信じがたい速度で廃墟と化すのだ。その文化財級の家屋が、歴史を重ねた刀剣を本体とする刀剣男士たちには居心地よかろうと提供されたのではあるが――裏に維持管理の手間を省こうとする魂胆がないとは言い切れない。崩れ落ちた天井を戻すより破れた襖を直すほうがあらゆる意味で容易い。
さて、その“本丸屋敷”に二人、正確には一人と一振が着いたころには辺りは真っ暗で、まずは電気のスイッチを探さねばならなかった。
雫石は自分の部屋に家具が設置されているのを確認すると――今朝までやっていた引っ越しの完了作業は業者がすべてやってくれたようだった――居間で待機していた燭台切を呼んで、彼にあてがわれた部屋を案内した。
伝統的な和室といったところで、イグサの匂いがする部屋だった。
「ここが僕の部屋か。執務はどうする? 居間とは分けた方がいいと思うんだけど」
「うーん。私の部屋に次の間があるから、そこでお仕事しましょうか」
「いいの? そんなに近くて」
「これから何人増えるかわからないしね」
――本格的な出陣には最低六振は欲しいところだな。それで一部隊だ。
津野はそう言った。そして今、雫石と相性の良さそうな刀を選定中であることも。
「じゃあ、しばらくは僕はそこで君のサポートをするね」
「うん。……戦闘でも何かと頼ること、多いと思うけど……よろしくお願いします」
雫石はそう言って、深々と頭を下げた。すると、燭台切は笑って言う。
「君は主なんだ。気にしないで」
「……でも、こういうのは大事だと思うから」
頭をあげていえば、燭台切は今度は苦笑した。そんな燭台切に雫石は手を差し出す。
「?」
「握手してもらえる? あらためて、これからよろしくね、の挨拶」
「ああ!」
三度手を握り合い、二人は笑った。
すると、ぐう、という音が辺りに響いた。
「……これは、格好悪いな」
言いながら手をほどき、腹のあたりを押さえたのは燭台切である。直後、雫石の腹も鳴る。二人は苦笑しあう。
「お腹空いたね、何か作ろう。食材も運んでもらったはずだから」
雫石が言えば、燭台切は露出している左目を少年のように輝かせた。
「僕、料理に興味があるんだ――見ててもいい?」
「それは、ちょっと緊張するかも」
言いながら、二人は台所へ向かった。台所は家屋から予想されるようなかまどなどはなく、また、土間でもなかった。きちんと現代のものである。つまり、水道とコンロが完備されているものであるのだ。
しかし意外なことに台所のコンロはIHではなく、ガスであった。
それを見て、せっかく火を使えるんだから土鍋でご飯を炊きましょう! と言ったあと雫石ははっとした。
――燭台切光忠は、焼失、のはず。
しかし、燭台切の方は頓着とした様子はなく、米の洗い方を教えると素直に従い、土鍋への火入れも冷静に見ていた。
「……」
雫石はそれを見て、内心でやはり少し首をかしげた。だが今はそれを問えるほどの関係ではない、とも思う。
やがてご飯が炊きあがり、味噌汁とおかずが完成した。
「あまりもので作ったから、鮭の塩焼きとほうれん草のおひたし……朝ご飯みたくなっちゃった」
「でも、美味しそうだよ」
ほかほかと湯気をあげるご飯は、燭台切が食べ慣れないといけないので少し柔らかめに炊きあがるようにした。鮭は甘口で、ほうれん草はきっちりと水を切ってある。
いただきます、と声をそろえて言って、それぞれに頬張る。
「……! お米が病院のより甘くて美味しい」
「秋に獲れたうちの実家の新米なの! 美味しいって言ってもらえてうれしい」
燭台切の言葉に雫石が思わず勢い込んで言うと、彼は目を見開いた。
「そうなんだ」
「そうなの。その辺で売ってるお米とは違うんだから。使う直前まで玄米のままにしてるしね」
「玄米! そっか、これは精米してるんだね。昔は雑穀で食べていたはずだから」
「あ、なるほど……じゃあ今度、雑穀米もやってみる? 私結構好き」
「うん。やってみたい。いい?」
「もちろん」
食は人にとって楽しみであり、喜びである。
とある哲学者は「人は皆食べるために生きているが、私は生きるために食べている」と食することを揶揄するような言葉を遺したものだが、食べるために生きて何が悪い、と雫石は思ったりもするのだ。
「明日の朝は卵焼き作ってあげる。うちは砂糖派なんだけど、大丈夫?」
「御馳走になります。……もしよかったら、それも教えて?」
「もちろん!」
他愛もない話をしながら、その晩は終わった。
燭台切にとって初めての人と食べる自由な食事であり、雫石にとっては久方ぶりの人と一緒の寂しくない夕食であった。

その後、互いに風呂を済ませ、居間で就寝の挨拶をすると二人はそれぞれ自分の部屋へ向かった。
燭台切は布団を出す前に、支給されたものを文机に並べる。
連絡用の端末と、政府からの禄――給与が振り込まれるというカード。そのうち連絡用の端末を取り上げる。そして、迷いなく呼びだす。
「津野悟朗」
呼び出し中、の表示が出て数秒。相手が出た。映像ありで、あちらはすでに寝巻になっているようだった。
『よう。電話で話すの新鮮だな』
「そうだね。悟朗ちゃん、そっちは変わりない?」
『表面上はな。チビが「しょっさんいないない」ってうるさいんだよ。嫁さんにバレんか冷や冷やもの』
「翔悟ちゃん、元気で良かった。そのうち会いに行ってもいい? 僕、この姿なら抱っこできるよね?」
『おう、雫石と遊びに来い』
津野のいうチビとは燭台切の言う翔悟のことで、津野のもうすぐ三歳になる息子のことだ。
しかしこの二人、なぜそんな話をしているのだろう、と雫石がいたら思うに違いない。
『で、一日目どうだった? 幻滅したか?』
「幻滅? 僕が? 何に?」
『雫石にだよ。お前想いが募りすぎて妄想強くなってたりしなかったか?』
津野の言葉に燭台切は笑う。
「しないしない。優しい子だね。礼儀正しいし。今日はご飯の炊き方を教えてもらったよ。しかも土鍋で! あんなの見たの100年ぶりじゃないかなぁ」
『うちは21世紀の早い段階で電気コンロにしてたっつーからなぁ』
「そうそう」
『ああ、やっぱ見てたのか』
「もちろん」
どうも二人は知己らしい。会話は滞ることも緊張することもなく進んでいく。
「それにしても悟朗ちゃんのオペレーションはイマイチだったなぁ」
『どーも直接の後輩とお前だと思うと気が抜けて端折っちまってな。気をつけるわ』
「頼むよ。こっちは命がけの仕事になるからね」
『気をつける』
そこでふと、津野は真面目な顔になった。
『一つ屋根の下だからって暴走すんなよ』
「暴走……?」
『200年ぶんの募る思いはあるだろうが、あっちはなんも知らないんだ。びっくりさせるなよ、ってこと』
「正確には282年と6カ月と数日……かな」
『細かいなぁ。だからこそ心配』
「大丈夫、嫌われるようなことはしないよ」
笑って言えば、津野は疑わしそうな――でもどこかコミカルな――表情を見せた。
『それで、ここまできたら後は「あの日」ってやつだけなわけだけど、いつ起こるか見当ついてるか?』
「それがさっぱり」
燭台切が肩をすくませると、津野は盛大に息を吐いた。
『それがはっきりしねーのがなんとも……ともかく現段階ではなんらかの事故って推測しかたてられねぇな。それ以上の準備ができねーんだわ』
「事故だろうね。そして彼女は『行って』『帰る』はず」
『行くのはわかってるんだよ、お前が証人なんだから。問題は帰りだよなぁ』
「それは僕がちゃんと、連れて帰ってくる」
強く確信をもって燭台切が言えば、津野は息を吐いた。
『男に二言はない、ってか。……頼むぞ、あいつは審神者としても貴重だが、大事な後輩なんだ』
「僕にとっても大切な主だよ。……だから安心して」
そうか、ならいいけど――という津野の言葉にかぶるように、彼を呼ぶ女の声と幼い子供の声がした。
『ああ、もう切るぞ。今日はちゃんと寝て、ゆっくり休めよ』
「わかった。……悟朗ちゃん本当に親になったねぇ」
『うるせえや』
言いながら津野は手を振り、電話を切った。
燭台切はそこでフーッと息を吐き出した。
――どうも、新しいものを使うのは緊張する。嫌いではないんだけど。
そんなことを考えつつ、外廊下へ出る。日本庭園は闇へ沈み、辺りは暗い。外廊下の板張りを追えば、角を曲がった部屋の障子から灯りが漏れている。
そこは主の部屋の次の間だ。
明日から彼が近侍として詰めることになる場所。
掃除でもしているのだろうか。手伝った方がいいか――と思いかけ、さきほど「おやすみなさい」と挨拶を交わしてしまったことに気付く。
燭台切は柱にもたれかかった。
「そう、282年待ったんだよ」
こぼすようにそう言って、そのひとりごとに苦笑し燭台切は部屋に戻り戸を閉めた。

(了)

[初出]2015年3月21日(http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=5072032)
[加筆修正・再掲載]2015年10月16日