見上げれば、レンガ張りの長方形の駅舎。
何度か建て替え案が出されたものの、結局、20世紀以来のこの姿に落ち着くのだ。駅の東側は大通りを要しつつも21世紀以降の再開発で超高層ビル群が出現し、西口から見上げればそれらが駅ごしに見下ろしてくる。西口は車やポッドなどの到着場であり、巨大なアーケード街を形成する商店街があるため超のつく高層ビル群は出現することはなく、第二次世界大戦以降に形成された景観を表向きは保っている。
そして、その合間に欅並木。
ここは仙台――人口減少のこの時代において、東北地方で人口がさらに集中するようになった地方都市だ。
雫石都子の故郷はここより南方、むしろ福島に近い場所だが、津野悟朗の実家はこの街の中にある。
そういえば東京の大学で出会った雫石と意気投合したのは同郷だったからか、と今更ながらに津野は思い出す。雫石は南方の町から電車を乗り継いで高校から越境通学してこの街に通っていたから、二年か三年の差はあれど記憶が彼のものと一部重なるのである。
それにしても、と津野は思う。
――東京駅があの姿を残すことでレトロモダンを表しているなら、仙台駅のこれはなんだろうな。
大正時代の姿を取り戻した東京駅がレトロモダンという回帰性のあるファッションを示しているとしたら、20世紀の姿を残す仙台駅はさしずめノスタルジーの象徴だろうか。年末年始を過ごす地元、盆を過ごす実家など、この地方が背負ってきたのは「故郷」や「田舎」といったものだ。20世紀の駅舎は未だにその役割を背負い、現代社会に適応するのを拒むのだろうか。まるで老いた父母のように。
ふと気付けば景色は欅並木の作りだす木陰になっていた。
欅の作りだす影の色は濃い。夏なのだ、と彼は思う。
――欅は5月が一番いい、新緑の。
故郷を離れてからその木の美しさに気づいたものだ。今はその最も美しい時期が過ぎ、葉の緑も影と同じく濃いものになっている。
「ただいまー」
また場面が変わる。ひょいと見下ろせば、その先には何年も前に捨てたはずのスニーカー。その紐をといて、かれは脇にあったサンダルに履き替える。
「あら、もう帰ってきたの? 明後日じゃ――」
顔を出したのは彼の母である。ぶら下げていた土産を渡して、腰にひっかけていたタオルで汗をふく。首の後ろをふけば、とうに短くしたはずの襟足が長く伸びていた。
「明後日来るのは調査の人たち――教授たちと後輩だよ。一足先に戻っていろいろやっといたほうがいいと思って」
「そう……。やっぱり蔵、掃除したほうがいいんじゃないの?」
気を揉んだように言う母親に津野は笑った。
「埃ぐらいはなー。でも古いものを動かしたりしないでくれよ。どこになにがあるかもちゃんとした“資料”なんだ」
「そう。……疲れたでしょう、水ようかんがあるからとりあえず休みなさい」
言って母はくるりと踵を返して台所へ向かう。
その先に、男がいた。母は男に頓着とせず、男も母を頓着としない。どころか、母は男をそのままするりと“すり抜けた”。よく見れば、男は黒いスーツを着ているというのに、体の向こうが透けていた。
『お帰り、悟朗ちゃん』
「お前が一番かよ、燭台切」
鼓膜を打ったのではなく脳に直接響いた声にそう言うと、男は笑う。右目に眼帯をしたこの男は、付喪神だ。
津野家にあふれるヒトならざるもののひとつ、である。
『みんな、蔵を調査されるっていうんで浮足立っててね。お迎えは後回しになってるよ』
「お前は気にしないのか?」
『だって、僕のことは調査対象から外してるだろ? 今回は帳簿とか紙とか本の調査だって言ってたじゃないか』
「まあそうだけどよ、古いモノが好きな連中が20人も来るんだぜ?」
『君と同類の、ね』
笑う男に津野はため息をついた。
「ま、そうだな。ところで、夏なんだからスーツやめたらどうなの」
『僕は暑くないからね。それにこれが一番かっこいいだろう?』
「俺の目に暑いんだよ。……ウジガミ様にあいさつしてくる」
『そうだね、お待ちかねだよ』
ひょいと玄関に荷物を置いて、津野は入ったばかりの玄関を出て庭へ回った。
ウジガミとは氏神ではなく屋敷神のことであり、屋敷神をウジガミと呼ぶのは、この東北と九州の一部だと津野が知ったのは大学に入ってからである。その分布は方言周圏論的な理解でいいのだろうか、とふと思ったことを覚えている。

数度瞬きをしただけだったのに、また場面が変わった。
津野はいつのの間にか、庭にある蔵の前で腰に手を当て、古い書類を運び出す後輩たちの列を眺めていた。
手袋に長袖、そしてマスクという後輩たちは夏にそぐわない恰好をしているが、埃対策で仕方がない。温度調節機能つきの服は上手く動作しているだろうか。
見上げれば、目を眇める必要があるほど太陽は燦々と輝いている。
列の先は客間で、客間では和紙に筆字の書類の撮影作業とデジタル化が教授たちの指導の元おこなわれているはずだ。
――大正以降の資料だからどんなだかなぁ。
と津野は思う。
津野家は大正期に勃興したこの地方では新しい商家だった。もともと小さく商いをしていた家を大きくしたのが大正期なのだ。商才のある先祖が一人と、あるいは運がつづいたのか津野家はそれなりの商家となった。今もその店は続いていて、江戸期から続く百貨店や呉服屋、茶を商いとする店にはかなわないものの、それらが軒を連ねる中心街のアーケードに店を出し続けている。いずれ俺も公務員を辞めて社に入らなければならないんだろうか、と津野は生涯何度目かの疑問を胸に抱いた。
そんな一族の歴史と自らもあずかり知らぬ未来に思いを馳せつつ改めて後輩たちの列を見れば、その肩や頭に小さな付喪神たちが纏わりついているのに気づいて、思わず津野は噴き出しそうになった。
付喪神たちは見えもせず聞こえもしないというのに、口々に「落とさないでね」「大事にしてね」などと後輩たちにささやいているのである。古い算盤の付喪神はハラハラと列を見つめているし、なぜか未だに残る足踏みミシンの神はおっとりとそれを見つめている。彼らこそが、彼の家にあふれるヒトならざるものたちであった。
――粗相をしても祟らんでやってくれよ、和綴じくらい、直せる奴らだ。
――祟りゃしないよ。
津野がこっそりと声をなげると一斉に応えがあった。
そこへ慌てた声がかぶさった。
『見えないんだ!』
声のした方に視線を投げれば、そこにはひと際目立つスーツ姿の付喪神――燭台切光忠がいた。
「どうした?」
見れば、血が通っていないというのに付喪神の顔は真っ青だった。
『彼女――主を見つけたんだ、なのに、見えないんだ、僕のこと』
「なんだって」
津野は眉を寄せる。
「見つけたのか?」
『ああ、見つけたんだよ、見つけたのに――』
言いながら燭台切の視線をが流れていく。その先には、女。長い黒髪を一つに結び帳簿を運ぶ――雫石都子の姿があった。
「雫石? 本当なのか?」
『彼女だ、間違いない――僕の主だ』
燭台切は片手を胸に当て、もう片方は雫石へ伸ばして津野に訴えた。その間に、雫石は靴脱ぎでスニーカーをぽいと脱ぐと縁側に上がって客間へと消えてしまった。
――御客人。
その二人の脳裏へ、また別な声が響いた。
ウジガミ様、と津野はその名を呼ぶ。
――御客人。
御客人、とウジガミが呼ばわるのは燭台切である。
――貴種から離れたる客人よ。このあばら家に宿をとること二百有余年の客人よ。
燭台切はやや目を伏せた。
付喪神は百鬼夜行にも描かれ、妖か神かといわれると非常にあいまいな存在である。だからだろうか、自然発生的な屋敷神やカマガミ――荒神ともいう――などと接するとき、彼らはまず礼をする。燭台切のそれも、礼のようなものであった。
――確かにそなたとあの娘には縁があるようだ。しかし……。
ウジガミは首をひねっているかのような声を出した。
――そなたと娘には縁がみえるのだが、娘とそなたには縁が見えない。摩訶不思議なることだ……。
『それは……』
燭台切が蔵とは異なる方を見た。そこには緑に埋もれるように小さな祠がある。
――妙なことだ。娘は“まだ”そなたと縁をもっていない……。
燭台切が目を見開いた。

[初出]2015年11月30日(http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=6102830)
[加筆修正・再掲載]2015年12月31日