[初出]2015年11月30日(http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=6102830)
[加筆修正・再掲載]2015年12月31日
どん、と鈍い重みを伴う痛みが生じて津野は混乱した。もがいて目を開ければ、腹の上に息子が乗っている。にこにこ顔の息子に状況を把握できずにいると 「お父さん、起きたね!」 明るい女の声がしてそちらを見れば妻がいた。 「……おはよう?」 「おはよう、今日早いんでしょ」 「あー……忘れてた」 意識が一気に現在まで進む――二歳になる息子を抱きつつ起きれば、そこは仙台の実家ではなく東京の自宅であった。 「夢かぁ……」 「なに? 夢見てたの?」 「……昔の、だな」 妻はその答えを流し、息子を回収すると寝室を出て行った。津野は顔をなでまわす。 ――夢だったけど、昔あったことだ。7年前のこと。 津野は過去を夢に見ていたのだ、院生のころの夢だった。 そもそも津野にとっては雫石と燭台切の“縁”は7年前にはじまったものだったのだ、とぼんやりと夢のおかげで彼は思い出した。そして、その“縁”は雫石にとってはついこの間はじまったばかりのもので、燭台切にとっては282年も前にはじまったものであることに改めて思い至り、津野は深く深く息を吐きだした。 一つの縁のはずなのにそれはまるでたごまる――彼の故郷の言葉で糸や紐などが絡み合い丸まり、解きにくくなったことをそう言うのだ――糸のように、珍妙な形になっているのだ。 顔を洗いスーツに着替えダイニングに向かうと、朝食がそろっていた。 「ありがてぇなぁ」 「大げさねぇ」 笑う妻に津野は笑う。一人暮らしの時は自分で作らなければならなかったのだから、ありがたい以外の何物でもない。夢はそんな思いも連れてきていた。 息子の食事は終わったのだろうか、リビングのほうへ隔離されているようだった。最近は父親の脚にすがって移動するのがブームだから仕方ない。 いただきます、と言って箸を取り、そうだ、という。 「今日会議とかたくさんあるから遅くなるわ」 「そう? 晩御飯は?」 「済ませてくる、先に寝てて」 言うと、コーヒーカップをもって向かいに腰かけた妻が眉を寄せた。 「……最近忙しそうだけど大丈夫?」 津野は味噌汁を啜る前に苦笑した。椀で隠しながら。 「ん、まあやばそうだったら有給もらうさ」 今の仕事は、その内容が内容なので極秘の仕事なのである。妻は、津野が相変わらず文化・芸術のためにだけ働いていると思っている。だがそれでも、多忙さはさすがに隠せない。 心配してもらえることはありがたいことだ――津野はしみじみと思った。 それから、一口啜った椀を置いてリビングを振り返る。 「翔悟」 呼べばぴょこ、と息子がこちらを向いた。 「しょっさんに会うか?」 息子の顔がぱぁっと明るくなる。津野家は各世代に最低一人、「視える」者が出てくるのだ。次の世代は彼の息子らしく、彼にも燭台切が見えていたのだ。付喪神が国家への協力を決めてこの家を後にするその日も、息子には彼が見えていた。 「誰?」 妻が不思議そうな声を出したので、津野は振り返る。 「雫石のパートナーでな。翔悟と会ったことがあるんだよ、お前が美容院行ってる日」 以前から考えていた嘘を舌に乗せれば、妻はあっさりとそれを飲み込んでくれたようだった。初めて出てきた人物には興味を示さず、別な人物を話題に乗せる。 「都子ちゃん、彼氏できたの?」 津野はまた取り上げた味噌汁を誤飲しかけた。 「なんで?!」 「えっ、だってパートナーって」 妻は雫石と知り合いであり、わりと可愛がっていたことを思い出しつつ津野は箸をおいてこめかみをなでた。 「ああ、うん、ごめん、仕事上のってこと」 「なあんだ」 妻は幾分がっかりしたようだったが、雫石とそのパートナーを自宅に招くことを快く受け入れてくれた。 午前には通常業務を終え、午後には会議に入る。 出席役職者は課長級まで。津野は係長の下、主査として専門的に、あるいは上役の補助・補足をするために発言する権利を与えられている会議だ。 「……では審神者一名の退職と、解任を承認ということで」 異議なし、という空気になる。 本日は軽い同意を求められただけで特に重要な発言をすることもなかった。 審神者が二人去る――一人は依願退職、もう一人は解任、むしろ解雇と言ったほうがいいだろうか。 付喪神と暮らし、戦う――その生活がやはり重荷になるものがいるし、トラブルを起こす者もいる。所詮ここも“人”の働く場にして暮らす場だから、それらのことはここでも起こりうる。 「なお二名の退職により所属がなくなる刀剣男士は以下です。歌仙兼定、陸奥守吉行、加州清光、小夜左文字、秋田藤四郎、五虎退藤四郎、へし切長谷部、……」 津野は資料を一枚めくって、二人の審神者から手放される刀たちのリストを見た。 二人とも作戦の初期からいる審神者で、彼らの配下だった刀たちは彼にとってもよく聞く名が多かった。 「……以上です。何か質問等あれば」 津野はリストから目をあげた。そして挙手する。 「津野主査」 「……リストにある刀剣男士は新しい審神者につくということでよろしいでしょうか」 「刀剣男士本人からも聞き取りをしました。異議はないようです」 いまは刀に戻ってもらっていますが――と進行役が言う。 それを受けて津野は一つうなづいた。 「先日加入した審神者、雫石都子ですが、いまだ刀が二振りにとどまっていて実戦に出れません。現状、刀剣男士が不足している審神者がほかにいないようですから、雫石に優先的に接触を――」 「その審神者はなかなかに能力の高い刀を二本もひいたそうだな、もういいんじゃないか」 横合いから声が飛んできて、会議室の人すべてがそちらを見た。 「東雲主査」 津野がその名を呼ぶ。全員の視線の先には仕立てのいいスーツをきて、退屈そうに足を組んでいる男がいた。課長や主幹たちが眉をひそめる。 「たしかに二人は一撃に力がありますが、今後のことを考えると短刀、脇差などバランス良く配したいと考えています。二振だけでは隙が大きすぎます」 ふん、と鼻で笑う音がしたが、津野は息をひとつはいただけだった。一瞬の沈黙ののち、進行役が言う。 「東雲主査には異議がありそうですが、皆さんは?」 とくにないな、という声がそこここから上がり、東雲を一睨みする上司までいる始末だった。本人はあえてそれを無視したようだが。 「では雫石と優先的にマッチングさせていただきます」 津野がそういうと、会議はお開きのほうに流れ始めた。 上司たちが先に出て行き、東雲の冷たい視線を受け流して、背伸びをして立ちあがった津野に近づくものがあった。 「津野主査」 「桑折さん」 見れば、いつぞや雫石の面接に立ち会った自衛官であった。折り目正しく背筋を伸ばして立つ彼に、津野も背を伸ばした。 「東雲主査のことは……」 「キャリアで俺より少し年上、まあ、俺はノンキャリですし、焦るものがあるんでしょうなァ」 他人事のように言うと、慰労の言葉をかけようとしたらしい桑折はちょっと困った顔をしたようだった。 「出向ってのも気に食わんのでしょうなァ。まあ、俺は元に戻ってもよくて主査据え置きでしょうがあの人はおそらく昇進するんでしょうし、何が不満なんだか……」 ため息をつくと、桑折は困った顔のまま笑った。それに津野はニッと笑いかける。 「で、どうしました?」 「先日ご推薦の、次の学術系の審神者のことです」 桑折はぱらりと一枚の紙をよこした。 そこには『南部健仁』という名と経歴、写真があった。 「事前審査は合格です」 「まあ、大学助教ですからね、これでも」 キリリとした切れ長の目に引き締まった口元。男前と言えるその写真の顔を見下ろしつつ言えば、桑折はそっと声をひそめた。 「雫石さんのときもそうなのですが、我々が重視するのは学歴や専攻分野ではありません」 津野がひょいと目をあげれば、こちらは逞しい系の別種の男前がわずか眉を寄せている。 「……いいんですか、選考基準を俺に漏らして」 「あなたは内部の人ですから、問題ありません。……というか選考基準資料にも一応載っているんです。文官のみなさんは気にも留めておられないようですが」 津野はいくつもある審神者の選考条件を思い出してみたが、文民が無視しそうな条件がどうしても思い出せなかった。 「……『Tokyo陥落作戦』、です」 「うーん?」 桑折が背筋を伸ばしたままため息をついた。 「博士あるいは博士後期課程に進んだ方に任意で受けていただいている思考テストです。お題は簡単で、7日以内に東京を陥落させよ、と」 「そんなのあるんだ」 「任意のテストですので」 受けない方もいます、という桑折の言葉に津野はほぉと声を出す。 「俺は博士前期止まりですから、知らないわけだ。……そのテストは防衛庁がひそかに利用していると?」 「文化庁はご利用でないようですね」 「そりゃあそうでしょう」 文化庁やその職員はこの作戦にだって、刀剣男士が文化庁管理下の刀剣類の付喪神でなければ出番はなかったはずなのだ。 異業種すぎる桑折と話している今がだいぶおかしく、非常事態だということを端的に表している。 「……だいたいの文系院生の方は、中央省庁および国会の制圧からはじめるんです。ところが、雫石さんと南部さんは少し違った」 「少し、というと?」 「雫石さんは高速道路と鉄道の爆破、南部さんは空港の管制塔の爆破あるいはシステム攻撃から開始しました」 「……?」 津野は首をかしげる。桑折は辛抱強く解説することにしたようだった。 「高速道路、鉄道、空港というのはいわば人と物の交流・運搬に不可欠なものです。そしてインフラでもある。そこをまず着いて、多くの人の目をそちらへ向けさせると同時に、とくに高速道路と鉄道の分断は物資供給に不可欠ですから、そこを断つ目的があるようですね。南部さんも引き続いて交通インフラを攻撃しています」 「ほお」 「次に雫石さんは取水施設を。……水は人が生きるのに必要なものですから、道理です。南部さんは発電所と変電所を。このハイテクノロジー社会においては、妥当な判断です」 「真綿で首を絞めるようだなぁ」 「真綿ではなく麻縄でしょう。そして、最後の中央省庁制圧前のお二人の行動は一致しています」 「……というと」 津野が言うと、桑折は真顔で言った。 「デマの流布です」 津野はしばし桑折の顔を見つめた後 「ははあ」 と言った。 「つまり民衆をギリギリまで追い詰めたところで制圧者の登場、と。混乱時においては物理的な力を持つものが強いのは万国共通ですからね」 「その通りです。……少し条件のあまい設定でしたし、満点とはいきませんが、良いところを突いておられた」 「雫石は戦国時代の専攻です。専門は婚姻政策といいますが、結局はそれは外交の一種なんですよ。南部は幕末から明治期の文化交流史。近代の文化交流っていうのは国家外交の周辺にあるものですから。外交の究極的で極端な形が戦争だとすれば、二人ともそういうものに詳しくても不思議じゃないですよ」 「クラウゼヴィッツ、でしたか」 「ええ。……その陥落作戦というのはゲリラ戦かテロに近いと思いますがね」 国家勢力対非国家勢力と考えれば十分外交、そして戦争でしょう――というと桑折は「ふむ」と言った。まつろわぬ人々の集まりであるゲリラやテロ集団との戦いは21世紀初頭に始まり、いまでは正式に戦争の顔をしている。だから桑折は「ふむ」と納得したのだろう。 「本来ならこの『Tokyo陥落作戦』の作戦パターンのデータは、防衛や警備にのみ使われるものでした。しかし――」 「審神者の選定においては、総大将としての力量を図るにもってこいの基準だ、ということでしょうかね」 「ええ」 津野は桑折に渡された資料を、自分の持ってきた端末の上に乗せた。自分のデスクに戻るのだ。そのこだわりも驚きもない様子に桑折が首をかしげた。津野は浅く笑みを口元に乗せる。 「その思考実験だかなんだかで二人が好成績収めてても驚きませんよ。なにせ、二人とも俺に学問を諦めさせた人間――院の後輩なんでね」 桑折がおや、というように表情を変えた。
[初出]2015年11月30日(http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=6102830)
[加筆修正・再掲載]2015年12月31日