そのとたん、津野はどこかわからない場所から現実に引き戻される。
立ったままだったはずの足がたたらを踏んで姿勢が崩れ、よろめく。相馬があわて、数人の研究員たちが飛んできた。
「だから椅子を用意しますって!」
と誰かが言った。
「数値さらに急上昇中!」
誰かに津野が「悪かった」というのと同時に、装置の傍にいた研究員が叫んだ。
「……振り切れます!」
相馬がうめいて、その場に膝をついた。
津野は額に手をやった。じっとりと濡れている。首や背中にも不快感がある。
汗をかいているのだ。そして、遅れて精神と肉体が疲弊していることにも気づく。
津野はかしこまる相馬とは逆に、足を投げ出した。すり減った革靴の底を付喪神の居る鉄塊のほうへ見せる形になる。燭台切なら無礼な、と怒る前に、靴底を張り替えるか新しいものを買えと眉をひそめるようなものである。
――はて、この付喪神はなんというだろう。
背中側の床へ手をつき、ふと思う。胡坐ぐらいかいたほうがいいか、と思ったところで研究員たちが何事か叫び、あたりが光に満ちた。
相馬が硬直する。
だが桜は舞わなかった。
眩しさに奪われた視界が回復すれば、鉄塊の上に――光源。
しまった、足を整え損ねた、と津野が思う横で相馬が平伏している。研究員たちはいつの間にか、遠巻きにするように大きなコンピュータの傍に集まっていた。
『おっかしいなぁ』
光源から声がして、津野はそこを見やりながらようよう胡坐を組んだ。
『キミの神様たちが、協力すれば俺は直るし、ヒトの体ももてるんだよって言ってたけど』
不満そうなその声は少年のものだ。モニターはどんな反応をしているのか、研究員たちがばたばたと音を立てそうな勢いで働いている。
ふふふ、と津野は笑った。相馬が顔を上げ、彼とは対照的にきっちりと腿の上に手をそろえた。
「それはお前さんがまだ主を定めてないからだな。主を定めると、刀身は元に戻って、お前さんはヒトの体も手に入れられるんだ」
津野の言葉に光源がチカチカと点滅するようにした。
研究員たちはまたざわついたが、付喪神は単に目をパチクリさせたのだと、津野と相馬にはわかった。

疲労困憊した津野に代わって、相馬が――審神者だった経験をもとに――付喪神へ状況の説明をしてくれた。
付喪神はところどころで「ふーん」とか「へぇ」とか「そうなんだ」と言葉を発し、状況を飲みこんでいった。
『じゃあ俺は、ワルイ奴らと戦うために主を選べばいいんだね。キミじゃだめなのかな?』
少年の声は初老の相馬をキミ、と呼んだ。津野には違和感があるが、相馬はそれが当然と受けているようだった。
「わたしは、審神者をやめたのです」
『やめれるもんなんだねぇ』
少年の声はこだわりなくそう言った。声色のわりに飲みこみが早く、老成しているような雰囲気さえある。
光源がゆれてひたと津野を見た。
『この流れで行くと、キミも違うんだ?』
「ご明察。俺は審神者にはなれない」
『そんなにいっぱい引き連れてたら、やりにくい、か。確かにね』
光源の付喪神には津野にとりつく神々が渦を巻いているようにでも見えるのだろうか。
『うーん、じゃ、俺は誰を選べばいいの?』
その言葉に津野はにっこりと笑った。

光源の付喪神はある程度鉄塊から離れて動くことができるらしく、津野がついて来て、というと素直にふよふよと浮きながら彼にしたがった。研究員たちに退出すると伝え――グラスはデータ収集のために付けていろと言われた――相馬とも廊下の途中で別れる。
光源の付喪神は『いっちゃうの?』と少しばかり名残惜しそうにした。
相馬はどうも、付喪神に好かれる不思議な魅力があるらしい。
津野と付喪神は相馬が廊下を折れて見えなくなるまで見送って、また進む。
「ここだ」
と言ってドアの開いた一室に入る。光源の付喪神がふわふわと中に入るとドアは自動でしまった。
ここは、津野が作業に使う小さな個室だった。常用としては与えられていないが、申請すればその時間分使うことができる。廊下を行く間に二日分この部屋を抑えたのだ。
津野は備え付けのデスクの椅子にどっかり腰を下ろすと、パソコンを立ち上げた。ホログラムが展開する。状態が安定すると、津野はそれを指ではじいた。ホログラムが拡大しながら部屋の壁に向かい、そこで安定する。ホログラムはそのまま壁へ投影するスクリーンとなった。
わあ、と付喪神が面白がる気配がした。
「審神者は最大で75名いる。ただし欠員や休養があるから常に75名いるわけじゃない」
『ななじゅうご?』
「次に増員がかかるとしたら最大値としてプラス75、150人になるな」
『一人ずつじゃないんだ。なんかヘンな増やし方するね?』
「クダギツネの数と同等、だな」
『あんまり増やすと逆効果なんじゃないの、クダギツネ』
「そこは俺の管轄じゃないなァ。まあ、数値としてまず配置して一気に審神者やらなんやら増やすわけじゃなさそうだし、予算つぶされるほどじゃないだろう」
さて、と津野はその会話をやめ、スクリーンに審神者の顔写真と経歴を展開させる。付喪神がそちらを見る気配がした。
津野は手元のコンソールを操作して、次々と審神者たちを入れ替える。
「今のところほとんどが神職と兼務しているものばかりだ。お前さん、相馬さんの様子からだと神社に居たことがあるだろう。相性よさそうな宮司さんやら巫女さんがいたらいってくれ」
『……俺が選んでいいの?』
「選ぶ権利はある。ただしその後に見合いみたいなものして、相性確かめるんだけどな」
『ふーん、じゃあお断りしたりされたり考えなおしたり、アリ?』
「ありあり。……大事な作戦だからな、合わないやつと無理してもらうことはない」
そっか、と言って付喪神たる光源はふよふよとただよう。
『それ、俺も操作できる?』
彼は津野の操作するコンソールに興味をもったらしい。津野は椅子を足でぐいと後ろに押して間をあけた。光源がふよふよとコンソールに近づき、的確に――不思議な力によって――データを行き来するボタンを操作しはじめた。
カチカチカチ、と入れ替わるのは老若男女。相馬と退職させられたとある女審神者の場所は詰めてある。
『九州のヒトもいるんだ』
「そりゃもちろん」
付喪神は自分は阿蘇の子、と言った。おそらくは阿蘇神社にまつろうもの――だった――のだろう。だがここには残念ながら阿蘇神社の大宮司はいない。審神者としての資格がないわけでなく、血筋が古く、政府が招くのを畏れたと思われる。
やはり光源の付喪神も九州出身者のデータを行き来している。そしていくらか落胆したようだった。
『ちょっとピンとこないかも』
「九州の人間じゃなきゃイヤか?」
『そういうわけじゃないけど、さ』
ううーん、付喪神が少年の声で唸った。
『他の神様の気配がすると、ちょっとね。俺、やりにくいかも』
「ああ……なるほど」
言われて津野はスーツの胸ポケットからプライベート用の小さなパーソナル・ディスプレイを取り出した。21世紀に普及したタブレット型PCやスマートフォンの末裔たるそれは、要するに小さなコンピュータであった。
付喪神がカチ、カチ、とコンソールに触れるものだから気が引けて、思いついたことをこれで検索しようというのだ。
――阿蘇神社、主祭神。
ぱっと結果が表れて「健磐龍命」と表示した。「タケイワタツノミコト」と、津野は蝦夷の地出身の己に馴染みのない名前をぼそぼそと小声で言ってみた。続く項目に目をやれば、日本神話にもあるというこの神は、阿蘇山の神としての性格も持ち合わせているらしい。どうりで、馴染みがないわけである。
続けて探してみれば、健磐龍命と彼に連なる神々はこの熊本の阿蘇神社を総本社とする全国の阿蘇神社で祀られているらしかったが――残念ながら、審神者に阿蘇神社の関係者はいなかった。
カチカチ、ぱっ、ぱっ。
切り替わる画面は様々な神社関係者を兼ねる審神者を映し出す。
「……だめそう?」
『……ダメってわけじゃないんだけど』
ちょっと悩んじゃうよね、と付喪神は言う。
『大事にはされてたけど、俺自身が神様だった、ってわけじゃないから気にしなくてもいいのかなぁ』
その言葉に、もしかしたらこの付喪神は昔馴染みに会いたい、あるいは故郷の空気を知るものと触れあいたい、という希望を抱いているのかもしれないと思った。
長年過ごした馴染みの土地から離され、焼かれ、そして海へ――いったい、この付喪神はそれをどう思ったことだろう。本人は飄々とした雰囲気を醸し出し、人を恨んでいるそぶりもみせない。もしかしたら元は戦の道具なのだし、それこそが武器としてまさしくふさわしい運命、とどこかで悟っていたのか。
津野は柔らかに明滅する光源を見て、そっと息をついた。
「ちょーっといいか?」
それからコンソール近くへと椅子を戻す。光源はふわふわと彼の頭上に移動した。
「ちょいとイレギュラーなやつはいるんだ、今のところ一人」
そしてコンソールをたたくようにする。
――審神者のデータ収録フォルダが異なるのだ。
神職系から離れ、同じツリーの別フォルダからそれを呼びだす。
そして、彼はエンターを押した。
スクリーンに展開されたのは、歴史研究者兼審神者の雫石都子のデータだった。
「どうだ?」
『……気配はしないかも』
すい、と光源がスクリーンに近づく。不思議なことに、光が近付いても画面としての機能は果たしているようだった。
「こいつは歴史学者だ。まだ駆け出しだけどな。頭はいいし気も回るほうだ。九州にはかすりもしないことをやってるけどな」
『ふうん……。綺麗なお姉さんだねぇ』
「まあ、比較的整ってるほうではあるが――」
研究者だからイロイロ難はある、という言葉は津野は飲みこんだ。
『神様の気配は薄いけど――俺と同じ気配がする』
付喪神が言う。ああ、と津野は言った。
「もう二振ほど味方につけてるからな。それだろ」
『そうだけど、そうじゃない。それだけだったらさっきまで見てた人達といっしょ』
少しむくれたような口調で言った後、彼は冷静な口ぶりで言った。
『このひとの、一の刀を見せて』
言われるままに、津野は燭台切光忠のデータを呼びだした。
樋のある刀身、黒い拵。
付喪神はじっとそれを見、“顎を引いた”。それから雫石の写真を呼びだすように言うので、その写真の隣にそれを並べてやった。
『ヘンなの』
「ヘン?」
付喪神は津野を“見ない”。スクリーンを見たまま言う。
『ヘンだよ。だって、こっちの、長船の光忠の刀と彼女の縁はとても古いのに、彼女から刀への縁ははじまったばっかり。ねじれてて、ヘン』
津野は思わず、ぐーっと頭を後ろに引いてしまった。この付喪神、神の近くに長くあったせいなのか、視えるのだ、縁が。津野も相馬も、さすがに「縁」はその妙な視界に捉えることはできない。
津野の動きに反応したのか、ついに付喪神が津野を“見た”。
『……しかもこのエニシ、キミもかかわってる。――正確には、キミのご先祖から、キミまで』
付喪神は再びスクリーンを見る。
『キミとキミの一族と、刀のエニシはまっすぐ。キミとこのヒトのエニシもまっすぐ。……なのにこのヒトと刀の縁はねじれてる』
「……」
『詳しくは知らないんだね――この刀の付喪神以外は』
すいと画面上の刀を示して、付喪神は言う。
津野はため息をついた。
「長船光忠の手になる、燭台切という」
『燭台切光忠』
「そう」
ふうん、と付喪神は言った。その声音はどこか悪戯小僧めいた響きがあった。
『ね、俺、このふたりのとこがいい!』
津野が思わずぐうというと、付喪神は笑った。
『へんなちょっかいだしたりなんかしないよ。でも縁がねじれてるから、これから何か起る。それ、近くで見たい!』
津野は首を左右に振った。
「そういう目的では俺、コイツらオススメしてはいないんだけど……」
『ちゃんとお仕事するから!』
すがるように言う声と近づく光源はまさしく少年らしい。店先で駄菓子かおもちゃがほしいという子供のような。
「ちゃんと仕事するんだなー?!」
『約束するから!』
ぐらぐらと揺さぶられる感覚。それは攻撃ではなく、親を揺すぶる駄々っ子の手のようなものだった。
――俺はちゃんと、翔悟をしかれる親になろう。
謎の決意を抱きながら、津野は付喪神に「いいよ」と言ったのだった。

数日後、転送室に置かれた鉄塊に雫石はギョッとしたようだった。
それが戦後のどさくさで焼かれ海へ捨てられた幾振もの刀だ、と告げるととても悲しそうな顔をした。
燭台切は少し離れたところで主の動向を見守っている。
いつもの椅子に雫石が寝そべり、津野は燭台切を伴ってモニター・ルームへ引っ込んだ。
数十分後、雫石が起き上がり、転送室に光が満ち、桜が舞った。
それがおさまると、傍らの男が言った。
「小さいけれど力持ち……だね。……大太刀だ」
そしてマイクが拾った明るい声が、モニター・ルームのスピーカーから流れた。
「むかし、阿蘇神社にあった宝剣・蛍丸でーす。じゃーん! 真打登場、ってね」
そして少年の姿をした大太刀は、蘇った自らの本体を背負い、審神者へと楽しそうに歩み寄った。

(了) 

[初出]2015年11月30日(http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=6102830)
[加筆修正・再掲載]2015年12月31日