このたび審神者の任から解かれた相馬と、津野が呼ばれたのにはわけがあった。
実は相馬は津野と同じく「人ならざるモノが視える」のだ。さらにはそれが彼の神に仕えるという生業と合わさって、強力なものとなっているらしく、彼は眠る付喪神を見つけることができるのだ。そのため、審神者の任を降りる代わりに彼には付喪神捜索者として政府と契約を結んだのだ。
相馬に及ばないものの、「視える」津野はそのサポートとして呼ばれた。
そして今日はその「候補」がここへ運ばれてきているのだ。
入った部屋は転送室に似ている。機械的な明るさ、白い部屋――
その中央に、なにか。
それを白衣の研究員たちが取り囲んでいる。
幅が一メートルほどの黒い塊だった。研究員たちはそのあちこちに計器を当てて、なにやら測っているようだ。
津野は研究員たちの間を縫って、ぐいとそれを覗き込んだ。
見れば、その黒い塊は細長いものがまとまったような形をしていた。縦長の結晶がいくつもくっついたような姿を取る鉱石が巨大になったような、そんな印象がある。しかし良く見れば、赤茶けた鉄の色があちこちに顔をのぞかせていて、純粋な鉱石ではないことを人々に示している。
「おお、これは」
相馬が一言いって、立ち尽くす。
「――計器に反応があります」
その意味を補足するように研究員が言った。津野は黒い塊から目を離し、そちらを見る。
「付喪神の気配、機械で読み取れるようになったのか?」
「はい、先日できた試作品ではありますが――わずかながら奥のほうに反応があります」
「……科学の進歩ってのは、恐ろしいねぇ」
先日まで「わからないものはわからない」として放置された霊・あやかしの類である付喪神。その気配が読み取れるようになってきているらしい。太いコードの伸びる手のひら大のスキャン器いかにも試作品という姿で、まったく洗練されていない形。コードの先には時代錯誤の感すらある大きな業務用コンピュータにつながっている。さきほど声を出したのは、その画面を見ていた者だった。
「相馬さんのご様子だと、あたり、ということでいいでしょうか」
白衣の者たちが一斉に相馬を見る。相馬は少しばかり驚いたようだったが、こっくりとうなづいた。
「ええ、いらっしゃいますよ」
「――いらっしゃる、ということは、高位の付喪神だと見ても?」
相馬は、カミに仕える男だ。だからだろうか、彼は御神刀など文字通り「神」となった刀には無意識に敬意を表し一歩下がり、そうでない付喪神には優しい祖父のように気安く接するのだ。職業柄、というところだろうか。付喪神はカミとあやかしの間にある存在だ、ということを相馬の態度の違いで津野はつくづく思い知ったものだ。神の神たる付喪神と、たまたまカミと呼ばれたにすぎないあやかし。
「ええ。神そのものではないようですが、とてもとても大切にされていて、大きな力をもっておられます。津野さんにはまだ見えないですか?」
言われて津野は一歩下がり、目を眇めてそれを見る。
「うーーーーーん。……っていうかこれ、何?」
津野は黒い塊を指差して言った。自分は刀剣男士候補の付喪神がいるかもしれないものを見てくれ、と言われて来たにすぎないのだ。てっきりきらきらしい刀剣の類と対面させられるかと思ったら、目の前に鎮座しているのは黒い塊なのだ。
「熊本沖で発見された鉄塊です」
「はあ。……あ、その話?」
『熊本沖で奇妙な鉄塊が見つかった。』
『相馬が刀剣男士候補を見に来るから手伝え。』
それぞれ話は聞いていたが、それらは彼の中で繋がっていなかったらしい。ようやっと話が一つになる。
「GHQによって回収された後、焼却処分及び海中投棄された刀剣類の残骸……ですかな」
それを明確につなげたのは、口を開きかけた研究員たちではなく、相馬だった。
「……相馬さん、もう“話して”いるんですか?」
「いいえ、記憶の残滓のようなものが――」
言って相馬はそっと鉄塊に一歩近づき、そっと手をかざした。
「各所で大切に守られていた刀の付喪神たちの記憶の残り――それももう消えかかっています」
ああ、消えていく――と相馬はうわ言のように言った。
数値は、と研究員の誰かが言った。
「下がっていきます――でもゼロではありません」
「……伝説の類であっても名前と霊体を抑えれば顕現させることができる、か。一応、これは本体も残ってるってカウントできるかな」
津野はつぶやいた。そして研究員たちを振り返る。
「これがGHQによって海中投棄された刀剣の類であることは確認できたのか」
「アメリカの公文書管理局から情報収集した結果と、現地の口述記録集を確認しました。可能性は高いかと」
発見は海中開発の偶然によるものでしたが――と研究員が続ける。
津野は再び鉄塊を見た。
何本も何本も束ねられて――あるいは、山積みにされて焼かれたのだろうか。その後、偉大なる塩水の中で、よく耐えたのだろうか、それとも黒色化するまで焼かれたのが酸素とのもうひとつの結合作用を遠ざけたのだろうか――ところどころ赤く変色している以外は、崩れている形跡もあまりない。あるいは、外側にあった刀剣からぼろぼろに崩れて、原初の海へと溶けていったのだろうか。
「西洋では、武器は武器でしかありませんからなぁ……痛ましいことだ」
「……美術品と申し開きすれば見逃してもらえたものもあるんでしょうが、それに耳を傾けたり気を回す心の余裕は、誰にもなかったでしょうね」
敗れた側が武装解除されるのは当たり前のことだ。そしてその時の敗れた側は、長い戦争状態の間に餓え、祖国に知恵に回す知識すら取り上げられていたのだ。明日の暮らしにすら怯えるそれらの人々に美術品を護れというのは――酷なことだと、さすがに23世紀の人間にも分った。
「……それにしても、俺にはなにも“視え”ないんですが」
「計器にもごく微弱なものしか……」
まだ、いますか? と異口同音に発せられた言葉にこっくりと初老の男はうなづいた。
「とても奥で――眠っていらっしゃる」
「起こせますか」
津野が言うと、相馬が首を振った。
「カミの眠りを妨げることは、私にはできないのです」
――ゴロウ。
と、津野の頭の奥で声が響いた。
津野は再び鉄塊と向き合う。
――真ん中、奥……“視て”。
それは男とも女ともつかない声だが、馴染みのない声ではなかった。彼を幾重にも守ってくれているカミの幾柱か。それが、すっと彼の脳内に指差すイメージを送り込んでくる。
黒い塊の、中央付近をぼうやりとした手指が示す。
津野が数度瞬きをすると、ふっとそれは消えた。きっとこれらの現象を“普通”の人々は恐れるのだろうと津野は折々に思う。
目はその間に鉄塊の中央付近に集中し、まるで近くのものを見過ぎた望遠鏡のように視界がゆがむ。
視えたのは、流線型の形に似た刀の姿。
だがそれも一瞬のことで、瞬きする間に消えてしまった。
「……視えた」
その言葉に相馬が津野を見る。
「私にカミを起こすことはできません」
「ここまで眠りが深いと、起こせるかもわかりませんね」
津野は眉を寄せた。
……彼はこれまでも顕現前の刀剣の調査に同行する事があった。その時、彼に視えるのは顕現後の肉体に近い姿をした精神体だ。時に彼らの主となる審神者に先だって、彼らにこの作戦についての説明をしたことすらある。
だが、今視えたのは、刀の形。しかもおそらくは、喪われてしまった刀のかたちだ。
それは、ヒトが交渉できる精神体として出現していないことを現す。
そしてその周りがまとう空気は恐ろしく静謐だ。
あたりには開発途中のスキャナーの駆動音やら人の息遣い、動きに伴う衣擦れの音などに満ちているというのに。
「目覚めてもらえなければ、助力は得られませんね。……起こしてみるか」
「……津野さん」
「相馬さんには起こすことがタブーでも、俺には違いますから」
にっこりと相手を安心させるように顔の筋肉を使うと、相馬は戸惑いの表情を見せつつも浅くうなづいた。
――審神者だった彼には、この事態がカミの眠りを妨げてでも阻止すべきものだということが分かっているのだ。
研究員たちが鉄塊の周りから一旦引き始め、相馬も数歩下がる。
研究員の一人は、津野に審神者たちが使うグラスを渡してきた。ため息をつきつつそれを装着する。こめかみのあたりがピリリとした。データをとられるのだ。一旦鉄塊の周りからひいた研究員たちがまた戻る――鉄塊にもデータ集積用のパッチがあちこちに貼られていく。
グラスに『Target O.K.』の文字があらわれるが、津野はそれを透かすようにしてその向こうの鉄塊に集中する。
「椅子は要りませんか?」
視界の外から声がして、津野は苦笑した。
「いらねぇよ、審神者じゃないんだし」
――ゴロウには、わたしたち。
カタコトめいた言葉が脳裏に響く。あちこちの神が寄越した護りのモノたちが手伝ってくれるらしい。
――付喪神。刀剣男士。
津野はその姿をイメージする。
男だ。それは間違いない。
人型をしている。彼らは人の形をまとって戦うのだ。
そしてそのカタチをとってくれなければ、話すらできない。だから、起こすのだ。
目を瞑り、集中する。
――ヒトであれば、どう起こす?
今朝、彼は小さな息子に勢いよく乗られた。それで目が覚めた。あれは良く効いたが、まさか付喪神にできるはずがない。
瞼には、淡い光。
――乗っかるのは無理でも。
と津野は光に向かって手を伸ばした。
――揺さぶるのはできるよなぁ。
津野はイメージした。肩を掴んで、揺さぶる。最後に人にそうしたのは――学生の時だろうか。
手が細い何かをつかんだ。育ちきらない、細い肩。……そんな気配がした。
翔悟が育てばこのくらいになる日が来るだろうかと思う。小学生――低学年くらいだろうか。
津野は意識の中で少し屈んだ。
――なあ、起きれるか?
揺さぶる力をわずか弱めて、そっと声をかける。
肩が動く気配がした。まぶたの裏に流線型の刀がうつり、ぼやけ、人になる。
『数値上昇中――付喪神の存在を確認』
いやに機械めいた声が耳に届く。
――なに、なに?
声がした。若い、というよりやや幼い。でも語尾は妙にしっかりしている。
彼は揺さぶられ声をかけられたことと、外界の音に驚いている。
――なになに? みんな、どうしたの……?
――起きれるか? 手伝ってほしいことがあるんだ。
――キミ、だれ?
付喪神は振り返るようにして津野を“視る”。
そして付喪神の名を問う言葉に神々の分霊が津野の周りに盾を作る。すると付喪神は驚いたようだった。
――うわ、神様がいっぱい! ……僕は阿蘇の子だよ、意地悪しないから、安心して。
津野の手をつたって、数柱の神が付喪神に近づく。付喪神は驚いたようだったが
――東の神様が多いなぁ。
とどこかのんびりと言った。
神々が付喪神に何か話しかける。その言葉は津野には聞き取れなかったが、付喪神には通じたらしい。
――ふぅん。なんかヤバイのがいるんだ。俺が手伝えばいいんだね?
それから付喪神はすいと津野に“目”を当てた。
――わかったよ、このヒトに話を聞くんだね。じゃあ、起きようかな。
津野は分霊が腕をつたって戻ってくるのを感じ、そっと付喪神の肩から手を外した。

[初出]2015年11月30日(http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=6102830)
[加筆修正・再掲載]2015年12月31日