それと接触したときに見えたのは高い高い青空と――広く広く枝を伸ばす、美しい桜の木。
花弁は枝に従って広がるばかりでなく、彼女の頭上へも落ちかかっている。
この桜の歳はいくつだろう。
千年は超える、と聞く。
地面からまっすぐ伸びて枝を支える真白な添え木はさながら老人の杖だろうか。
花はソメイヨシノとは異なる色をしている。
さっと風が吹いて、さらわれた花弁がひとつ、雫石の頬に触れた。思わずそれに手を伸ばし、指でつまむと、声がした。
――わあ……これが三春の、滝桜! なんですね!
快活な少年の声。礼儀正しくもどこかやんちゃな感じがする。
雫石は空を見上げた。
青い空に、紅枝垂桜の淡い色。
――綺麗ね。桜と空のコントラストが綺麗だって私に教えてくれたのは三春なの。
雫石は滝桜の後ろの高台に目をやる。そこにも桜が咲き誇り、小さな社を縁取っている。
――三春……三つの春。梅と桃と桜が一緒に咲くって、ほんとなんですか?
雫石は声に笑う。
――さあ。私にはわからないわ。でも、町もね、花でいっぱいなの。小さいけれど、とても素敵な町よ。
雫石は思い浮かべた。
町の家々から除く花々。通りに舞う花弁たち。
境内に桜あふれる福聚寺。桜にけぶる、山城公園。
――……そこがお城なんですね。
声がふと、改まった。
――正確には、城址ね。お城はもうないの。
――はい。もちろん、知っています。どこのお城も、今ではみんなそうですから。でもそこが……俊季様の入られた城。
――俊季様?
雫石はそれが発した言葉を逃しはしなかった。
――はい、主君の……もう亡くなられたんですけど……御嫡男です。でも、主君より早くに亡くなられてしまって……。
――君、秋田氏に縁があるのね。
こっくりとそれがうなづく気配がした。
俊季様、というのは秋田三春藩初代藩主、秋田俊季のことだろう。
では、彼を嫡男に持ったのは。
――君の主は、秋田実季ね。
気配がまた、こっくりとうなづく――今度はより深く。
それは一人の戦国大名の名であった。元は出羽の国の北部で生まれ、育ち、戦い――そして戦乱の終わりの荒波に浚われて南で寂しく没した人物。
――僕、三春のことは知らないんです。あそこは、実季様の国じゃなくて、俊季様の国でしたから、僕は行ったことないんです。とっても綺麗なところだって聞きました。
雫石はふと傍らに近づいてきた気配に目を落とす。
背が低いそれは、優しく、好奇心に満ちていた。そして、好奇心いっぱいの目で彼女を見上げる。
――あなたが御存じなのは、俊季様が入られる少し前と……すごく最近の三春なんですね!
――ええ、私が知っているのは、伊達政宗正室愛姫の故郷としての三春と、この前桜を見に行った時の三春なの。
――でも、とっても綺麗です。僕、見てみたいなぁ……自分の目で!
快活な少年の声に、ぼうやりと言葉が重なる。そして雫石は、ひたとその言葉に目を当てた。
――君は、“秋田藤四郎”ね!
少年はにっこりと笑う。
――はい! どうぞよろしくお願いします、新しい主君!
雫石が目を覚ますと、そこは光あふれる転送室だった。やがて光が消え、小さな少年が姿を現し、嬉しそうに彼女に駆け寄ってきた。
顕現した彼の髪は桜色で、瞳は空と桜のグラデーションのような美しく優しい色をしていた。
彼こそが刀剣男士、秋田藤四郎であった。

[初出]2016年5月11日