御手杵はとことこと廊下を行き、ある襖の前でおおーいと声を出した。
「入れ」
と応えがあり、襖をあけ中に入る。
「陸奥が酒でも飲まないかってみんな誘ってるんだけど、どーする?」
「呼ばれるか」
それまで目の前に展開するホログラムに目を落としていた南部がやっと目を離す。
そのホログラム画面を覗き込んで、お、と御手杵は声をあげた。
「児手柏! 懐かしい」
「わかるのか」
ホログラム画面には反りの大きめな刀が映っている――だが様子が変わっている。刀身が黒いのだ。御手杵はわずかぶるりと震えた。察した南部がホログラムを手で払って消した。
「焼けてんの?」
「大正の関東大震災の被災文化財、だな」
「ヒサイブンカザイ?」
「21世紀初頭から認識され始めた文化財のことだ。もともと美術品だのなんだのと、価値があった文化財が天災にあって、そこに『被災した』という文脈が加わり、後世になんらかのメッセージを伝えられる可能性が生じたものを指す。……まあ、もともとが日用品でも、被災したことにより新たな文脈が加わればそう呼ばれることがあるんだけどな」
「ふーん」
「要するに、喉元過ぎればなにもかも忘れちまう人間に、天災は恐ろしい、備えよ、考えよっていう教訓を伝えてくれる物品、ってことだな。……さっきのヤツはもともと刀剣として価値が高かったから、余計に被災文化財としての役割が大きいわけだ」
「うーん……」
御手杵は複雑そうな顔をした。戦道具としての役割の終焉にも刀剣男士たちは複雑なものを抱えている。その上、焼けて元の姿を失ってもそこに人は意味を見出す――その人のさがは付喪神には醜悪に見えただろうか、と南部は思う。
「被災文化財ってやつは歴史の脇役から歴史そのものになったようなものだ。そういうことで、勘弁してやってくれ」
「……俺にはそこを断罪する権利はないなぁ。俺だって、“前の”が焼けてなけりゃ、ここにいないわけだし」
御手杵は困ったように言う。
彼は――20世紀に作られた、御手杵という槍のレプリカなのだ。本来の御手杵は空襲で焼失し、それを惜しんだ人々が三名槍の東の一を心をこめて再現した。そして新たなる御手杵は、九十九の年月を経ていま刀剣男士として世に現れている。
思いを込められすぎたせいか、御手杵の記憶は混乱することがある。便宜上彼が「前の」と呼ぶ在りし日の御手杵の記憶を、ヒトを介して彼はところどころ受け継いでしまったのだ。時に記憶がまじりあい、彼は苦しむことがあった。
その混乱を呼びこまないように南部は注意しながら話を進めることにした。
「水戸徳川家は当時の当主の意向で、ただの鉄塊になってしまったとみなすこともできたこれらを一切手放さなかったわけだ。そして無事だった他の美術品とともに創設した博物館にこれを収めた――2010年代までそれは外部に知られていなかったようだが、被災文化財というジャンルの確立によってその存在が公表された」
「ふーん。……なんでそれを見てたわけよ?」
この中から次にウチに来るやつがいるのか? と聞いてくる御手杵に南部は首を振った。
「あの眼帯――水戸徳川のものだそうだな」
「眼帯……あ、燭台切光忠!」
鬼気迫ってたよなぁ、おひい様を守ってる感じで! と笑う御手杵を南部は無視した。
「いないんだよ、収蔵品リストに」
「へ?」
「2010年代までリストを遡ってみたんだが――」
南部は画像をオフにして再びホログラムを展開した。
そこに並ぶのは、刀剣の号、あるいは銘。筆頭は児手柏だった。
御手杵はホログラムに触れ、リストを行ったり来たりさせた。
「あ、ない」
「池田光忠」とある光忠のあたりをウロウロしながら御手杵は言った。
「……刀剣男士として貸し出してるからカットされてんじゃねぇの」
「2010年代まで遡ったって今しがた言ったよな?」
南部が言えば、御手杵がごまかすようにぽりぽりと頬を掻いた。
南部はため息もつかずにもう一つホログラムを展開した。
並ぶ活版の文字は、しばらく前に雫石も見ていた『罹災美術品目録』だ。
「しかしここには記録されている」
「あ、ほんとだ」
「これはどうも民間っぽい記録だから信憑性の問題もあるが――それにしてもおかしい」
「――途中でなくしちゃったのかな」
「いや――」
南部は三度ホログラムを展開させる。
そこには丸眼鏡に口髭を生やした、知的な印象のある男の写真が映し出された。
「……一振りだけなくす、という人物には見えんな」
写真の下には「徳川圀順(1886年12月13日〜1969年11月17日)」とあった。
それを見つめていれば、遠くから「おーい」と呼ばわる声がした。御手杵がホログラムから目を離したすきにそれらを払って終了させると、南部は
「まだ始めるな」
と言って近侍を連れて部屋を出た。


「主君」
と秋田が声を出して、雫石を揺さぶる――それを燭台切はやめさせた。
「大丈夫、僕が運ぶから」
言って軽々と座席から女を抱きあげれば、空と桜のグラデーションの瞳が「わぁ」と憧れを持って彼を見上げてきた。
「あの、僕、玄関とかあけてきますね」
と五虎退が走っていく。
大倶利伽羅がポッドのドアを閉め、カエレ、と命じるのが聞こえた。
その間に歌仙と秋田は五虎退に続き、雫石を運ぶために抱きなおしている間に大倶利伽羅も行ってしまった。
燭台切は腕の中の女を見下ろす――規則正しく息をするさまは、“あの日”と変わらないように見えた。ただあるとすれば、熱による苦しみがないことか――そう物思う思考に、少年の声が侵入する。
「燭台切の目は金だけど、炎の色があるよね。その色、政宗が斬った燭台のろうそくの炎の色なの? それとも、別の炎の色?」
それは、小さな大太刀蛍丸であった。
燭台切は笑いかける。
「君の目は、蛍が休む草の緑かな、それとも、深い海の碧?」
蛍丸が虚をつかれた顔をした。
五虎退が玄関先で彼らを呼んだ。
主は腕の中で目覚めない。
燭台切が歩き出した後ろで
「やっぱ、言う気はないんだねぇ」
という子どもの声が聞こえた。

(了) 

[初出]2016年5月11日