「あんたこの連休は帰ってくるんでしょう? 年末もお正月も帰ってこなかったし……」
ホログラムの向こう、対峙するのは母の顔。
雫石は次の間で息を潜める燭台切がカメラに写り込まないように角度を調整する。
「お正月は博論の追い込みだから帰れないって言ったでしょー」
「だからおせち送ったんじゃない。……そうじゃなくて、おじいちゃんも会いたがってるし」
「おじいちゃんが?」
雫石が怪訝そうな声を出したためか、ひょいと燭台切が顔を上げた。そちらをちらりと見つつ、雫石は母親と向き合う。
「そうよ。あんた、もう急ぎのものはないんでしょ? 帰ってらっしゃい。」
「あのねぇ、こっちは連休中に講義とかのレジュメ作りたくて……」
「資料があればどこでもできる、って前からあんた言ってたじゃない。授業の準備だって同じでしょ」
「ぐっ」
雫石のぐうの音に、燭台切が声なく笑う気配がした。
「ともかく、一回帰ってらっしゃい、いいわね」
母はそう言って、プツン、と通信を切った。
「君が心配してるの、審神者業のほうだね?」
次の間から響いた柔らかな男の声に、雫石はため息をついた。


「仙台に帰省ねぇ」
「伊具です、丸森です」
対策局に出勤後、津野に帰省のことを言うと宮城と仙台がすり替わって返ってきた。これだから仙台市民(出身者含む)は、と思ったが津野は特に気にしていないようだった。宮城県民は、その県庁所在地仙台に大きなコンプレックスとあこがれを抱いているのだ。あそこは政宗以降、あのクニの中心地なのだ。
「帰ってもかまわないですよね」
「多少かまう」
と津野は即座に答えた。
「審神者は保護対象だ。組織的には下っ端の兵隊とはいえ、兵器たる刀剣男士を扱えるのはお前たちだけだからな、何かあっちゃ困るんだよ」
「え、でも、私一人で出歩いてますし、講師の仕事のときは一人ですよ」
「お前の行動範囲は想定されてるし、講師やってる大学だってお前の出勤地として登録されてんだ。何かあったときには飛んでける場所なんだよ」
それが360キロも離れてみろ――と津野は言う。
「付喪のワザで追えないこともないけど」
控えていた燭台切が言うと、津野が渋い顔をした。
「魔法みたいなのはやめてくれよ。一般人に説明のつかない非科学的現象は避けてくれ」
津野の言葉に燭台切は肩をすくめた。
「じゃあ、僕たちが主君についていくっていうのはどうです? 僕たちがいれば主君をお守りできます」
秋田が目をきらきらさせながら言う。
「確かに、刀剣男士がいれば特殊部隊の到着まで時間稼げるだろうな。これまでも審神者も本職の神道の会議やら行事やら何やらで遠出する事はあったし、その際最低一人は刀剣男士に着いていってもらってたな。ボディガード代わりに」
「じゃ、みんなで着いていけば問題ないんじゃない? 6人いれば完璧ばっちり、主のこと守れるよ」
蛍丸が頭の後ろで腕を組みつつ言う。それに津野は困った顔をした。
「まあ、なぁ……。一泊や二泊の出張なら、部屋とって会議中とかにそこで待機したり近くのカフェやら公園にいる、ってことをしていたし、その程度の日数ならリスクは少ないんだよ――雫石、実家、なんだよな。かつ、日数もある」
「帰省ですから5日ほどですね」
「ちなみに聞くが近くに宿は」
「……ええと」
とっさに出ない雫石に津野がうなった。そこへ亘理がおもしろそうに声を投げる。
「突然6人の男連れで娘が帰ってきたら、親御さん腰抜かしちゃうわね。リーダーが言いたいのはそれよ」
あ、と五虎退が声を上げた。
「……たしかに、そうですね」
「全員が全員『男』というわけではないでしょう、雫石さんのところは、半分が小さなヒトです」
と藤塚が遠慮がちに言った。津野は苦笑する。
「半分が子供の姿ってのがややこしいよなぁ。預かった、っていうにしては、独身三十路前の女に預けるか、頭おかしいだろその保護者、って思われるな。しかも三人、はるばる東北までつれていくって、なぁ」
「ああ……」
子持ちの津野の指摘に、同じく子持ちの藤塚は納得したようだった。小さなヒトたちも顔を見合わせて
「そうなると、僕らは留守番ですね」
と残念そうに言うが、
「まあぞろぞろ居ても逆に目立つか。過ぎたるは及ばざるがごとしっても言うし」
と、納得したらしい。津野は頷きつつ言った。
「実際一人か二人ってところだろうなぁ、不自然に見えないのは」
大人の大きさをしたモノたちが顔を見合わせた。
「俺は残る」
そう言ったのは大倶利伽羅だった。
「知らないところにいくのは構わないが、あれこれ言われるのは面倒だからな」
「じゃあ、大倶利伽羅さんは僕たちと一緒にお留守番ですね」
「よろしくおねがいします!」
「しまーす」
嬉しそうな五虎退と秋田に、どこかからかうような蛍丸。その反応に大倶利伽羅はしぶい顔をした。が、前言を撤回するほどではないらしい。
「じゃあ残りは燭台切と歌仙……」
雫石はつぶやいた後、うーんと言った。
「……時期的にそろそろ田植えなんだよね。今年気温が早めに高くなってるし、帰ったら田植えさせられるなぁ。……お米タダでもらってるから、その対価なんだけどね。そうすると、歌仙と燭台切にも手伝ってもらうことになるかも」
その言葉に歌仙が声を上げた。
「田植えだって?! 畑仕事の土まみれだってよい食材のためならと思ってやっているが、さらに泥まみれになれと、この僕に!」
あまりに大きく勢いのある声に皆が体を縮めた。
「秋にはおいしいお米ができるよ」
燭台切がなだめるように言うが
「米は百姓のつくるものだ、付喪神のすることじゃない」
と歌仙は腕を組んでそっぽを向いてしまった。
「……誰のおかげで米が食えてると思ってるんだ、百姓なめんな」
ポツリと雫石が言うと、歌仙がゆっくり主を見た――しまった、という顔をしていた。
「病院のものよりずっとずっと美味しい、って歌仙くんが喜んで食べてるお米は、主の実家から送られてるんだよ」
とまた燭台切が諭すように言った。
「あ、主、僕は、そんなつもりじゃ――」
あわて始めた歌仙にため息をついた雫石はそのまま吐き出すように言った。
「まあ、歌仙が残ってくれれば本丸の食事はなんとかなりそうだし、いいよ、留守番してて」
「主、僕は」
「歌仙はこれからも『いただきます』と『ごちそうさま』を言い忘れないようにね」
それは雫石から差し出された和解案を、歌仙は「もちろんだとも!」とその案を受け取った。
そのやりとりを笑い混じりのため息で受け止め、津野が言った。
「燭台切ならあらゆる意味で安心か。護衛がひとりだけで不安もないわけじゃないから、一応、実家の住所を教えてくれ。万一の場合船岡か松島から救助がいくようにするから」
それから津野が、あ、と声を上げた。
「遠出するなら、あれ持ってってもらおうか」
その言葉に藤塚がこっくりと頷く。そして彼はそのまま部下に指示を与えた。部下はパッと席を離れ、近くの機材を入れている小さな倉庫を開いた。戻ってきた彼の手には、シルバーのアタッシュケース。藤塚はそれを受け取るとテーブルの上に置き、開いた。
一同がのぞき込む。
そこには、いつも審神者たちが使うグラス――よりも幾分ごつい印象のあるものが一つと、円盤型の謎の装置がひとつ。円盤型のものは手のひらより少し大きめであった。
「……なんです? これ」
「簡易の転送装置だ」
「簡易……え、出先でも出陣があるんですか?」
「まあ、いまのところはないけどな。今後、選定の結果もっとも出陣に最適な審神者が遠方にいた場合は、ありうる」
「まだ稼働実例が少なくて、しかも一振しか送れないんです。軽量化も途中なんで。ベータ版みたいなものと捕らえてください」
津野のいい加減な説明を、藤塚が技術的に補足した。
「一振」
燭台切がそこに反応した。
「残り五振はこちらの施設から出陣させます」
「なるほど、転送先(むこう)で合流なんだね」
「ええ」
「万一のために持ってってくれれば助かる。あってもテスト稼働に協力してもらうとかそのくらいだと思うんだが、どうだ?」
津野の言葉に雫石はいいですよ、と頷いた。そして藤塚が閉じたアタッシュケースを持ち上げる。
「重っ」
「ああ、僕が持つよ」
雫石が想定したものより重かったそれによろけると、燭台切がさっとそれを彼女からとりあげた。


「庄子光忠――」
「なんか漢字のバランス悪いよね」
「刀派の“長船”が名字っぽいって気づいたの、書類出した後なんだって」
「津野先輩いつもそうだよね……そこがいいところでもあるんだけど」
帰省当日、リニア新幹線で雫石のとなりに座ったのはいつもどおり、燭台切であった。
庄子光忠、とは、燭台切に与えられた偽造戸籍上の名前だった。
レトロな腕時計を装う端末から展開させたその偽造に基づいた個人IDを二人でのぞき込んで、笑う。
「しょ、で始まった方がいいよな」
といって津野が選んだのが「庄子」であった。「庄司」でなく「庄子」なのが宮城県人らしい発想というか、そちらの名字が宮城に多いのだ。
「二文字目、“司”の方がよかったんじゃないかな」
「そうかな」
「ぜったいそう」
なんかシーソーに乗せたら光忠のほうが重くて傾きそう、と雫石が言うと「その発想おもしろいね」と燭台切は笑った。
「で、これからの旅程、教えてもらっていい?」
チケットレスだからよくわからないんだ、と言う燭台切に雫石は指折り教えることにした。
「まず、この新幹線で、仙台駅の一つ前の白石蔵王駅までいきます」
「……そうなんだ」
「うん、期待してたらごめんね。一応調査でしあさってには仙台にいくから」
「わかった」
「で、そこからちょっと離れたところにある東北本線の白石駅に行って、槻木までいきます。槻木で電車を乗り換えて、丸森駅」
「結構乗り換えるね」
「ローカル線が残っているだけマシよ。そうじゃないと迎えに来てもらうしかないし……まあ、来てもらった方が早いんだけど、今忙しいしね。あ、丸森には迎えが来てくれるの」
「……じゃあ自己紹介の練習、していたほうがよさそうだね?」
「そうね、ええと」
「僕は君の同僚で、文化庁職員、東京育ちで田んぼを見たことがない。日本の稲作文化をこの目で――」
燭台切はなめらかに、津野の考えた偽のプロフィールを穏やかな声として出力した。

ローカル線の駅は新幹線の駅から離れているという。
雫石は駅前でタクシーを拾った。
乗り込めば、それはポッド・タクシー――自動運転車ではなく、有人の車であった。運転席にいる男に目を白黒させながら燭台切が乗り込むと、バックミラー越しに運転手が笑った。
「お客さん、東京の人だね」
「ええ、まあ」
「有人、珍しいでしょ。東京は全部自動運転だからね。ただこんな田舎だと、法律で定められた自動運転経路なんて設置できなくてね」
「はあ」
「ポッドってのは、定められた経路をいくもんで――まあ自動ブレーキなんかもずいぶんすすんだもんだけど、こんな田舎だとね、猫やら犬に引っ張られた子どもやらじいさんばあさん、狸に狐とイレギュラーな事態が多くてね。人が補助として付いてんですよ」
「はあ」
「車掌みたいなもんですなぁ。バスにも電車にも」
言うと、運転手は行き先を聞き、それをシステムに入力した。ハンドルが自動で動き、走り出したが――しばらくすると、運転手は自らハンドルをとり、システムが経路からはじいた、やっと車一台通れるような細い道へ入り込んだ。

ローカル線の駅に着き、『仙台』と行き先表示のあるホームに立つ。
燭台切が飽くことなくそれを見上げているのに気づいて、雫石は苦笑した。
「ごめんね、今日はいかないから――しあさって、行きましょうね」
帰省ついでで雫石は仙台市内へ史料を取りに行くことにしていたのだ。もちろんそのスケジュールをさんざん承知の燭台切は笑う。
「うん」
だが不思議と彼は「楽しみにしている」とは言わなかった。そこでふと、雫石は彼が「第二次大戦後仙台にいた」らしいという不思議なことを思い出した。
彼にとって、仙台は遠い懐かしの地ではなく、ごく最近後にした場所ということなのだろうか?
わからない、と思っているうちに電車が到着し、二人はそこへ乗り込んだ。

途中下車し、また別なホームへ向かい、ふたりは小さな電車に乗り込んだ。燭台切は二両編成の小さな電車でやや背を屈めつつあたりを見回している。新幹線と東北本線はともかく、それより小さなローカル線はひどく珍しいらしい。
「高校の時は、これに乗って、さっきのところで乗り換えて、仙台まで行ってたの」
「毎日、だよね」
「うん、毎日」
「大変だったね」
「大変だったけど――」
雫石は空いたボックス席に燭台切を手招いた。向かいに座った彼をみた後、外の景色へ目をやる。流れ出した景色に、ビルはなく、緑が多い。
「大切な時間だったと思う。ここでこうやって景色眺めたり。本を読んだり。うん、読書の時間だった。あの頃が一番本を読んでいたな。いまの基礎になった昔の研究書も読んでみたりして。あの頃の朝夕の時間が、私を作ってくれたんだと思う」
人口が一点に集中する時代、この地域の人口はますます減っている。人は都市に集まり、里へは緑が降りていく。
その景色を眺めながら穏やかに語る女を優しく眺めていた男がいたことを、ひょっこりと向こうから顔をのぞかせた高校生だけが知っていた。名も知らぬ若人の手には、紙の文庫本があった。

[初出]2017年1月30日