[初出]2015年2月25日(http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=4962316)
[加筆修正・再掲載]2015年10月16日
――文化庁なんだから、まるまるブラックってことはないだろうけど。 立派なビルに辿り着き、あちこち引き回され、控室だと通されたのは通り一遍な真っ白い壁のだたっ広い会議室だった。 履歴書はあの電話の直後に――データが最新だったので――電話の主たる先輩に送った。すると翌日には面接日を指定された。だが相変わらず仕事内容の説明がなく 「俺を信じてくれ」 と言われるだけであった。 さすがに数日たつと不安になり、面接直前の今となってその不安は爆発寸前まで膨らんでいた。 彼女は肝が太いほうだ、とよく言われる。それは諮問や学会での質疑応答時の堂々とした態度を指してのことである。だがそれは不安のコントロールの仕方を知っていることと、自分の能力の限界を知っているからこそできることであった。また、そのような場では唸らせるべき敵――ではなく、教授や研究員、専攻違いの先輩などといった助言者の行動パターンや思考の傾向もある程度わかっているのだ。だからこそ、肝が太いようにふるまえるのだ。 だが今は、違う。圧倒的に情報が不足している。面接者は仕方ないとして、仕事内容が特に、である。これでは行き当たりばったりの対処しかできない。 ――緊張する……。 彼女が状態をそう内心で言葉にしたのとほぼ同時に控室のドアが開き、面接が始まることを告げられた。 「……南東北と北関東地域における婚姻政策を中心とした外交、ですか……」 面接官は三人。やはり学会とは雰囲気が違う。対面して、値踏みされている感覚が強い。 「正確には、南奥州地域になります――奥州仕置以前の」 面接官の言葉を歴史的な言葉に置き換えまた情報を付け加える。面接官たちが口の中で「ふぅむ」と呟いたのが聞こえた。 中央の中年男性が彼女に質問をしている。彼がおそらくそういう担当なのだろうと彼女は思う。 左右の二人は、時に履歴書に目を落とし、彼女がしゃべると彼女に目を当ててくる。 歳は皆四十代か五十代といったところだろうか。 それと、と彼女はちらと右手を見やる。 入口近くにもう一人いるのだ。かなり異質な人物が椅子に座ってじっとしている。 異様なのは、その風体だ。背筋はまっすぐにのび、体つきが一般人より優れているのが見て取れる。それになにより、彼はスーツを着ていない。 ――……自衛隊の制服……? 彼はお仕着せを着ているのだ。妙にカッチリとしたジャケットにボタンは四つ。左胸にはおそらく階級を示すバッジに加えて、彼女が意味の知りえないバッジがいくつかついている。 ――ここ文官の省庁だよね……? それ以前に、ここは文化庁の筈である。 21世紀ごろからコスプレイヤーたちが形成する独特な文化を国家的に打ち出せる価値あるものと判断し、それを様々な宣伝に使ってきた省庁ではあるが、さすがに昼日中からそんな人間がうろついて、ましてや面接会場にいるのはおかしい。 だから、彼は間違いなく本物の自衛官だと思うのだが、ここにいる理由が彼女にはわからなかった。 気にしつつも、彼の紹介もされないので彼女も無視するしかない。 それから十分ほど、通常の経歴確認が行われ、博士号を取得した論文――職務経歴書の代わりに要旨を提出していたのだ――についての説明も求められ、答えた。 しばらく、口頭試問の簡易版を続けていると 「失礼します」 と横合いから声が上がった。見れば、自衛官らしき彼が発言権を求めるかのように右手をあげていた。 彼女が思わず小首をかしげると、面接官から彼は自衛隊の誰それだ、と短く紹介された。正直、「どの」自衛隊で「だれ」なのかは彼自身に気をとられていて、彼女は聞き逃してしまったのだが。 「ちょっと事情がありまして……本当は彼は発言しない予定だったのですが、特別に。よろしいですか?」 窺うように面接官の一人が聞いてきたが、彼女に「否」という権利はない。彼女は今まさに値踏みされているところなのだ。 「……ええ……いえ、はい」 そう言うと、面接官はほっとしたようだった。そして自衛官も律儀に彼女に向かって頭を下げた。綺麗な角度で頭を下げられて、思わず彼女もわずか椅子の上で身じろぎして彼の方へ体を向ける。完全に横を向いて座るのは不可能だから、気持ちだけではある。 「では、早速。……あなたは架空戦記を描くことができますか?」 「……は?」 架空戦記、とは一般的に「歴史上起こり得なかったことを想像して描いたフィクションの物語」である。たとえば第二次世界大戦の敗北国が勝利していたら、とか、織田信長が本能寺の変を切り抜けていたら、など、歴史学にとっては荒唐無稽の物語群のことである。 「失礼な質問をしていることは重々承知申し上げています。ですが、可能性としてお聞きしたい。たとえばあなたの研究する時代で、ありえなかった歴史を想定して物語を創り出すことは可能ですか?」 一瞬不快な表情を出してしまったのはしっかりと読みとられてしまったらしい。しかし謝罪の言葉の後に、自衛官はまっすぐに、至極真面目な口調で聞いてきた。さきほどの言葉を「お前は荒唐無稽の物語で遊べるか」と挑戦的に言われたと思って眉を寄せた彼女も、その姿勢に少し冷静になった。 「――ええ、いくつかの事件からは。たとえば、天文の乱で晴宗方ではなく植宗方が勝利する、とか、栗の巣の変事で伊達輝宗が死なない、とか……あるいは伊達政宗が片倉小十郎景綱の意見ではなく伊達成実の意見を取り入れ豊臣秀吉に降伏しない、とか……」 まったく、馬鹿げた話である。ファンタジーである。口で言いつつも、彼女はそう思った。 だが、そのような研究対象にならない「IF」を考えたことのないものはいないだろう。ふだんから、「IFが起こり得なかったからこそ起こりえたこと」と対峙しているのだから。 全て聞き終わると、自衛官はひとつ頷いた。 「つまり、いくつも想定できる、と?」 「はい。……しかしこの質問は不毛だと思うのですが」 「いえ、大変役に立ちました」 起こらなかったことなど所詮絵空事だ。過去にも未来にもつながらないことを研究するなど、何の役にも立たない。そう思って「不毛」と言ったのに、自衛官は「役に立つ」と言った。妙だ、と彼女は思う。 「私からの質問は以上です」 そう言って彼は綺麗に腰を折った。思わず彼女も頭を下げる。それから、思わず彼女は質問の意図を尋ねてみたくなったが――自衛官はすっと壁際の置物とかしてしまったかのような空気を醸し出し、彼女をけん制した。その様子に仕方なく面接官たちに向き直れば、彼らはなにやら一様にほっとした顔をしていた。それからお互いに顔を見合わせて、うん、というように頷いていた。 「……?」 それからまた数分、型どおりの面接が続き、そして終わった。 終わったのだが、彼女は帰宅が許されなかった。またあの控室で待機しているように、と言われたのだ。 そして待つこと数分。 「おっつかれー!」 と勢いよくドアを開けたのは、彼女にこの職を勧めた張本人の、文化庁に勤めている先輩こと津野だった。現れたその姿に、彼女は思わず立ち上がる。 「お疲れ、じゃないですよ、なんですかあの面接!」 「お?」 「いや、「お?」でもなくて。なんでか自衛隊の人いるし、変な質問されるし、職務内容は相変わらず不明だし、なんなんですか、これ!」 今までのストレスをストレートにぶつけると、津野は少ししゅんとした。 「いやぁちょっと守秘義務があってね」 「はいい?」 そういうと、津野は困ったように頭を掻いた。 「あー、うん。お前口だけは硬いから先に言っても大丈夫か。どうせ守秘義務の書面取り交わすし」 「はい? まあ……学生時代の先輩が見知らぬ女性と怪しい場所から出てきたこと、当時彼女さんだった奥さんに未だに言っていないくらいには口堅いですけど」 「お願いだからそれは忘れよう? ……いやそうじゃなくて」 言いながら、津野はドアを用心深く閉め、辺りを見回した。それから慎重に彼女に近づいて、言う。 「面接突破だ、おめでとう」 「……結果出るの早すぎませんか」 「いや、ちょっと急いでるんだ」 普通書面とかで通達では、と言いかけるが津野は取り合わない。 「これからお前には適性テストを受けてもらう」 「……適性テスト? ……一分間で計算がいくつかできるか、とかですか?」 「かなり違う。……別室で受けてもらうことになるんだが、その前に」 そこで津野はフーッと息を吐き出した。 「これは他言は無用だぞ。……お前にはサニワに適性テストを受けてもらうことになる」 「……サニワ?」 聞いた音は馴染みがないものだが、数秒後、脳が漢字をつれてくる。 それは「斎場」あるいは「沙庭」というものだ。 一般的な言葉ではないだろう。古事記などのとてつもなく古い文献に出てくる言葉だ。 「……神を招いて言葉を聞く場所、あるいはその人、でしたっけ」 「辞書的だなぁ。でも正解」 「……私、イタコでもシャーマンでもありませんけど」 突然でてきた、現代ではオカルトな言葉に身構えて言えば、津野は苦笑した。 「知ってる。……そこは技術の発展を呪うんだな。それから」 津野は指を彼女につきつけ、動かす。指は三つの漢字をサッと空中に描いた。 「お前はのは、斎場でも沙庭でもない、審、神、者、と描いてサニワと読む」 「……審神者」 「ちなみに言っておくがまったく新しい概念だ。どこの辞書にも載ってないぞ。……中身は変わらんかもしれんけどな」 「……要領を得ないんですが」 「まあそうだろうな。俺も未だに仕組みはよくわからん。歩きながら説明する。否と言うなよ、国家プロジェクトなんだ」 国家プロジェクト、ということばに彼女は硬直した。そして本能が「避けるべき」と言い始めた。だが、もう後戻りはきかなさそうだということが、へらへらした印象のある津野の珍しく真剣な表情から読み取れてしまった。
[初出]2015年2月25日(http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=4962316)
[加筆修正・再掲載]2015年10月16日