[初出]2015年2月25日(http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=4962316)
[加筆修正・再掲載]2015年10月16日
通されたのは真っ白な部屋にポツンと椅子と――謎の円盤型の置物が据えてある部屋だった。 椅子は歯科にあるような半ば横になれる椅子で、円盤はいつかのSF映画で見たような空間転送装置めいた形をしている。そして、その上にはなぜか太刀掛台がある。 部屋には男が一人。津野である。インカムをつけている以外は先ほどまでと変わりがない。が、その足元に彼女は目をひかれた。 桐箱があるのだ。 「――これだ」 言って、彼は屈む。わんわんと声が妙に響く。 彼は丁寧な手つきで蓋をあけ、長方形の囲いの中からそれを取り上げて見せる。 黒い拵えの刀。70センチくらいだろうか。 「分類は太刀、だな。刀工は光忠、長船派の祖で現存数は比較的多い」 彼は立ち上がって、後輩の視線の高さにそれをもってくる。 「号もあるが――それは今からの作業に差し障りがあるから伝えない」 「差し障り?」 「お前がコイツの名前を読みとるんだ――コイツと共鳴してね」 言いながら彼は掛台にそれを置く――その作業は設置するというのがふさわしいような動きだった。柄を下にし、立て掛ける。太刀はやはり立て置きで横の掛台は使わないのか、と思っていると津野が振り返った。 「……この方が向き合えると思うんでね」 「な、なるほど」 共鳴だの、向き合うだの、なんだか本当に生き物のような扱いをしている、気がする。 よく見れば、椅子は掛台の乗った円盤型の装置と相対する位置にあった。 「私はこっち……ですよね」 「うん」 彼女が椅子に腰かける間に、津野は何やら刀の柄と鞘に心電図を取る時のようなシールを張り付けていた。 それを貼り終わって、よし、と言うと彼は彼女に向き直る。 「肘置きが物入れになってる。そこにグラスがあるからそれつけて」 言われて、右の肘置きをさぐればぱっかりとそこが空いた。収まっていたのは電子眼鏡である。21世紀に開発されたものの、結局一般化しなかった――各種業務の作業道具として利用されるものの、日常生活の必需品とはならなかった――ウェアラブル装置だ。 それを鼻に乗せれば、眼前に現実ではありえない線がいくつか出現する。 「服もだけど、それでデータとるから。よろしく」 「……はあ」 目線をしばらく泳がせて、立て掛けられている太刀に合わせれば 『Target O.K.』 という文字が浮かんで消えた。 「んじゃ、俺はモニタリングルームにいるから」 彼女がグラスをかけたのを確認した津野が言う。 「……モニタリングされてるんですね」 「もちろん」 部屋は四方壁である。だがどこかにカメラが仕込んであるか、マジックミラーにでもなっているのだろう。 津野が来たドアから出ていくのを見送って、彼女は背もたれに身を預けた。やや横臥するような形にはなるが、それでも太刀はよく見えた。 『こちらモニタリングルーム』 声が降って来て、目をあげる。津野のものではない。 『これよりデータの取得を開始します。まずリラックスしてください』 「……はい」 リラックスなどできるか、と思いつつ全身の力を抜く。するとまた声が降ってきた。 『5、4、3……。データの取得を完了しました。シンクロステージへ移行します』 ――シンクロって言われても。 そう思えば、天の声が津野に変わった。 『大丈夫。とりあえずその太刀を見つめてみて』 言われて、視線を太刀に合わせればまたグラスに何かの表示が出る。 『集中して』 彼女はごくりと唾を飲み込んだ。モニタリングルームとやらには、何人の、どんな人がいるのだろう。実験だわ、まさしく、と彼女は思った。 『余計なことは考えるなー』 あちらに表示されるであろうデータには彼女の不安やらはやはり筒抜けらしい。津野がやんわりと声を降らせてきた。 『とりあえず“彼”に集中してみー。お前のことが気に入れば接触してくるはずだ。後はそれに任せろ』 「……はあ」 津野の声はつとめて柔らかい。その意味を察し、彼女は指示に従うことにした。 とりあえず、太刀を見つめる。グラスに忙しく数値やら文字やらが現れるが、ともかくそれを無視して、グラスのむこうの太刀に集中する。 歴史をやっているとはいえ、彼女は刀剣には詳しくない。向き合うのはもっぱら文献資料――紙だ。 しかもやっているのは、組織論としてのイエの研究や内政、通常の書面や面会による外交がメインだ。外交の手段としての戦に触れても、彼女にとっては原因と結果が最も重要であり、戦の流れを扱うことはまずない。だから、その「流れ」の中で使用される道具たちにも深い関心は払ってこなかった。太刀、打刀、脇差、短刀、槍、甲冑、兜、具足……彼女が知っているのは所詮名称ばかりだ。 ――もっと真面目に勉強しとくんだったかなぁ。 目の前の太刀を見ても、蓄積された比較データもないので美しいとかそういうことすら彼女にはわからない。 ――ちょっと申し訳ないな。 誰にでもなく――あるいは津野か目の前の太刀か――そう思えば、目の前にふっと靄がかかった。 ――コウ。 頭の中に、優しげな男の声が響いた。津野の声ではない――降ってきたものでもない。頭の中に響いたのだ。 彼女は数度瞬きして目を眇めた。靄は消えない。 ――コウ、知ってるよね? 『シンクロ率上昇』 二つの声が遠くで響く。彼女は一瞬迷い、見知らぬ声のほうに集中した。 ――コウ。君は知ってるね。 彼女は首をかしげる。声は優しく笑う。 ――公、だよ。ああ、君はとても詳しいね。 詳しい? と彼女は思わず聞き返した。声がまた笑う。 ――君の知らない公のこと、見せてあげるよ。 『ツクモガミおよび被験者、シンクロ率さらに上昇中。75、80、90――第2フェーズへの移行現象を確認。――』 スピーカー越しの声が遠ざかり、視界が暗転する。 落ちる、と思った彼女に、大丈夫だよ、と声は言った。 見下ろされている、と彼女は思った。 見上げれば、まだ青年といった感じの男が確かに見下ろしている。その顔を見て、彼女は思った。 ――古い顔だわ。 と。若いのに、古い。そう思わせる原因はがっしりとした顎だった。あんなに太い顎の人間は、もう彼女の周りにはいない。明治、いや昭和くらいまでいた男性の顔だ、と彼女は気づいた。昭和以降これまで、食品の軟化により人の下顎は細くなっているのだ。 それ以外はとても整っている。太い眉に、しっかりとした口もと。それから、と彼女は彼を見る。 ――右目が。 炯炯と輝く左目。対して右目は上瞼が半ば落ち、眼球は白濁しているようだった。だが彼は、恥じることなくそれを惜しげもなく彼女に――いや、正確には“彼”に晒している。 ――公だよ。ほら、やっぱり眼帯はしていないだろう? 傍らの“彼”が楽しそうに言う。 ――割合現代的で、貴族的な顔立ち。 彼女が呟くと、“彼”がまた笑う。 ――遺骨の報告書だね。 「……また太閤からいただいた刀を御覧でしたか」 横合いから声がして、男が“彼”から顔をあげる。それでも男が笑うのがわかる。 「信長公の集めていた光忠の一振りだ。手に入るとは……」 「――号はないのですか」 「ないな。……まさか実休でも手に入れたと思っていたのか、小十郎」 「実休は本能寺にて主と運命を共にしたと聞いておりますが、政宗様」 ――小十郎? 政宗? ――だから、「公」って言ってたよね? クスクスと声が笑う。 では、この右目の白濁した男は。 ――伊達政宗。 ――正解。 「信長公と太閤の刀に俺が号を付けるのも一興だと思わないか、小十郎」 男――伊達政宗と彼女が認識した男は、“彼”を見下ろして楽しそうに言った。 “彼”が目を閉じる。 “彼”が再び目を開けると、“彼”は濡れていた。 生温かい、なにか。 柄には彼の主のぬくもり。その、足下。 人がごろん、と寝転がっている。 またその傍らには、真っ二つに叩き斬られた燭台が転がっている。 誰ぞ、と“彼”の主が声をあげる。控えていた小姓らしきものたちがすぐに姿を現す。 「これを片付けよ」 言うと、小姓たちはひとつ頷いて転がるそれ――“彼”を使って彼の主が手を下した、何者かの遺骸を片付けるために動き出す。 そこで彼女は、彼を濡らした生温かい何かが人の血だと悟った。 一瞬、気が遠のきそうになる。だが、その彼女を“彼”はガッチリと支えた。 ――待って。見つけて、僕を。 言われて、彼女はまた“彼”が見た、“彼”が見せる光景に目を向けるしかなくなる。 「御屋形様、この燭台はいかがしましょう?」 「片付けろ」 冷たくそう言い放った彼の主は、そこでひょいと“彼”を持ち上げた。 「――さすがは光忠。青銅の燭台をも切るか」 ぬらぬらと脂ぎった光を主に見せつつ、“彼”は待つ。 「号を与えよう」 男は言って、懐紙を取り出す。それで“彼”の血を拭い、彼に言う。 「燭台切。……光忠が一振、燭台切と号す」 左目は炯炯と輝き、右目は相変わらず白濁している。彼女は思わず、そのふたつの眼を見つめた。 “彼”の主の墓所の調査では眼帯に当たるものは発掘されず、生前の描写にも眼帯はない。 だから“彼”の主つまり伊達政宗は日ごろから右目を隠すことはなかったのだろう、と言われている。今一般に流布しているのは、明治以降、特に映像技術が発展してから作られた「視覚的にわかりやすいイメージ」というやつだ。 ――眼帯、やっぱりしていらっしゃらなかったのね。 ――そうだよ。でも僕は、眼帯もなかなかカッコいいかな? と思ったよ。 “彼”は彼女の思いに言葉を返してきた。 ――それじゃ、あらためて聞くけどあれは誰かな? それから、僕を見つけてくれた? “彼”が聞いてくる。彼女は素直に答えた。 ――伊達政宗公。そして……“あなた”は燭台切光忠。 彼女がそうつぶやくと、嬉しそうな声が響く。 ――見つけたね。 “彼”はそう言って、パッと彼女放した。 落ちる、と彼女は慌てる。 ――大丈夫だよ。向こうで会おうね。 “彼”はそう言って、手を振った。
[初出]2015年2月25日(http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=4962316)
[加筆修正・再掲載]2015年10月16日