その日はそれで帰された。
ポッドに乗り込み、ぼんやりと外を見る。燭台切と向かい合うのにも雫石は慣れてしまっていた。
「大手門、か」
燭台切がふと声を漏らしたので、そちらを見ると彼は顎に手を添えて考え込んでいた。
「……仙台空襲なら、他にも瑞鳳殿に感仙殿、善応殿が燃えてる。もちろん街も。……大手門を見せるのはどうしてなんだろう」
「うーん」
「それにもっと前の明治には――本丸が破却されてるし、火を見せたいならさらにその後の二の丸炎上でもいいんじゃないかな」
「どっちも見せられたぞっとするわ」
戊辰戦争時、奥羽越列藩同盟の盟主として新政府軍と対立した仙台藩は、いわば朝敵であった。戦後、新政府は見せしめのごとく仙台城の本丸を取り壊し、その部材は新しく置かれた軍の兵舎の一部になったという。だが、桃山建築の粋を集めたそれを取り壊したことを後になって惜しんだと言う政府は、二の丸は残した。それもとある不慮の事故によって焼失してしまったのだが。
かくして青葉城の雅号をもつ城の遺構を伝えるものは大手門をはじめとする門のいくつかと、隅櫓だけになってしまったのだが、それも焼夷弾の雨が焼き尽くしてしまった。
今残るのは江戸期に形成された見事な石垣だけである。
「……やっぱり門っていうのが大事なんだと思う。亘理さんが言っていたように、“入るな”って、わかりやすいし」
「うーん。……それもなんだけど。あくまで僕の推測だけど、“彼”、政宗公というより伊達家に愛着があるのかな、と思うよ」
その言葉に雫石は首をかしげた。
「大手門は城の象徴。本丸は町からは見えないからね。大町からまっすぐ城に進んで最初に目につく門だった。そして、石垣を除けば、最後まで残った城の一部だった」
「……三の丸は?」
町から大橋を渡ってすぐにあるのは、三の丸のはずだ。平地にある、家臣たちの働く場所。
雫石が指摘すると、彼は眉をあげた。そしてすぐに苦笑する。
「ああ、そっか……僕がいたときはなかったから。あそこにあったのは米蔵くらいじゃないかなぁ」
「あ――なるほど」
燭台切は政宗の存命中に水戸徳川家へ移っているのだ。その頃、青葉ヶ崎にあったのは本丸くらいのもので、二の丸、三の丸は政宗の没後、二代忠宗以降に造営されたものだ。
「じゃあ実は、あなたは若林城のほうが詳しかったりするのかな」
「たぶんね。平野の城でしょ? しばらくしたら、そちらにいることの方が多かったかな。あとは政宗公と一緒に江戸と仙台を行ったり来たり」
やはり政宗は山城の仙台城より近郊にあった平城の若林城――幕府には公然の秘密として屋敷として扱われた政宗のためだけの城だ――にいたのか、と、そう思うが、雫石は思うだけにとどめておく。
「で、“彼”が愛着があるのは政宗公というより伊達家なんじゃないかっていう話なんだけど――僕は君に政宗公そのひとを見せたじゃない?」
「うん」
「それが、“彼”は家の門を見せてくる。三の丸はともかく、門は家の象徴でしょ。だから、そうなのかなと」
「……あなただったら燃えあがる瑞鳳殿を見せる……?」
恐る恐る雫石が聞けば、燭台切はぎょっとした。
「まさか! 恐ろしくて、思い出したくもない」
やや視線をはずして言う燭台切に雫石は慌てた。
「ごめん、嫌なこと思い出させて。――……?」
思わず謝った後、ふと違和感に気付く。
「……あなた、二次大戦のとき仙台にいたの……?」
その言葉に、燭台切の視線がパッと戻ってきた。表に出ている左目は大きく見開かれている。「思い出したくない」ということは、思い出がある、ということだ。
「え、あ――……」
そして、彼は押し黙った。しばらくポッドの中を沈黙が満たす。
「……うん。二次大戦のころには仙台に、いたよ」
「東京の水戸徳川邸から仙台へ?」
「うん、そうなる」
「そう……」
どうやって仙台に戻ったの――雫石はそう続けようとしたが、ふいと拒絶するように燭台切が顔をそらし、眼帯で覆われた右目の方を向けてきたので、これは聞かない方がいいのだなと思い、質問は取りやめた。

その夜、夕食を終えて雫石はモニターの前で腕を組んでいた。
「どうしたの?」
戸を開け放っていた次の間に入ってきた燭台切が、部屋ごしに声をかけてくる。うん、と雫石はそちらへ向かって返事をした。
「例えば、ね。『伊達政宗 刀』って検索ワードに突っ込むでしょ? そうすると、あなたのことも含めて色々な情報が出てくるの」
燭台切が数歩で机の側にやって来て、モニターを覗き込む。たしかにそこにはいくつかの言葉が躍っている。
――燭台切光忠 大正の関東大震災で焼失あるいは所在不明。
であるとか。
「ああ、彼もいるね」
その文言を無視して、ピタリと彼の黒い手袋に包まれた手が一点を指差す。
たしかに、そこに文字がある。
「――うん、そうなんだけどね」
雫石は燭台切が指さすところに触れる。彼の手袋の革と彼女の何も塗っていない爪がわずか触れあった。
「……見えないの」
「見えない?」
雫石の視界では、そこだけが靄がかかったようにぼやけている。目をこすっても目薬をさしても、変わらない。
「最初の接触の時、こんなふうに下調べしてから接触したの。でも、大手門を見せられて以降、記憶から飛んでしまったみたいで。かつ、それ以降この文字がよく見えないの」
「……彼と接触した影響だろうね。ただ、僕らは付喪神――カミとは呼ばれるけどほとんどあやかしに近いような存在だから、それほど継続的なことはできないと思うけど……」
言いながら、燭台切は手袋で覆われた手で雫石の額に触れた。熱を計るようなその仕草。雫石は思わず目を瞑った。
「……呪のようなものが、君に――そんなに強くないから、害意はないかな。どちらかというと接触時の名残みたいなものだね。彼に接触しなくなれば自然と消えるものだよ」
「……そんなことまでわかるの」
「君は僕の主だからね」
燭台切はにっこりと笑い、説明になっているようななっていないようなことを言った。雫石がため息をつくと、革に包まれた優しい感覚が離れた。雫石はなんとなくぬくもりの離れたそこに触れる。
「じゃあこの状態、直せたりしちゃう?」
「うーん、どうだろ。自然に消えるものだから無理に触れない方がいいと思うけど。それに、また改めて覚えて行って彼の抵抗が激しくなる可能性もあるし」
「……抵抗」
「うん。あと僕が触れた気配もご法度かな。付喪神同士でも縄張ってあるし」
「……そうなんだ」
縄張とはまた面倒な、と雫石はため息をつく。
「やっぱり、あなたたちにとって名前って重要なのね」
「名前と、本体と、霊体。その三つをしっかり押さえてくれた人を主に迎える感じかな。霊体だけでも顕現させられる人もいるみたいだけど、相当修業積んでるか才能がないとダメだろうね。少なくとも君と僕の場合は、僕の本体があって、名前を知って、霊体の僕を認識してくれたから、こうして過ごせてるって感じかな」
「そういう仕組みなのね……三位一体みたい」
「西洋の神様か。そんな大袈裟じゃないよ」
燭台切は苦笑する。
「霊体で、っていうのがよくわからないんだけど、聞いてもいい?」
「僕も聞いたことしかないんだけどね。……例えば、今剣に岩融」
――いまのつるぎにいわとおし、と彼は自分の名前とは異なるリズムを持つ二つの名前を挙げた。
「今剣は源義経の守刀、岩融は武蔵坊弁慶の薙刀。でもその名前は書物にあるだけで、彼らの持っていたモノが本当にそういう名前だったかわからないし、そもそも彼らが刀や薙刀として存在したかすらあやふやなんだ。少なくとも両者とも現存はしていないとされてる。でも、弁慶と牛若丸はみんな知ってるでしょ? 物語には力があるから、それだけで刀剣男士になれるんだ」
「ううーん……伝承が血肉を纏う、みたいな?」
「そうそう」
「いろんな伝説をもとにみんながお祭りや行事を行ってるのと同じ感覚……なのかな」
「伝説が現実の人を動かすのなら、伝説という物語がもつ力が発揮されてるってことだよね」
「ああ、うん、なるほど」
理論的には説明しがたいが、感覚的には捉えられる――雫石はそう思って頷いた。
「不思議なことに、血肉となって現れた刀剣男士の傍らにはいつの間にか本体があるそうだよ。これで、僕らと同じく名前、本体、霊体が揃うそうだ」
「摩訶不思議なことが多すぎるわねぇ」
まず、真横の男がその「摩訶不思議」の塊なのだが、と雫石は思った。
「とりあえず、話を戻すと、本体は私の目の前にあって、さらに私が彼の霊体を感じ取ってるから彼は最期の砦として名前を守ってる、って感じなのかな?」
「そうだろうね」
燭台切の肯定に雫石は頬に手を添えた。
「ううーん。……嫌なら、無理強いしないほうがいいのかな」
「そんな悠長なこと、悟朗ちゃんが許してももっと上は許さないと思うよ?」
「ですよねぇ……」
雫石は今日何度目かのため息をついた。
「つまり、彼と接触したときに彼から名前をもらわなきゃいけないのか」
「そういうことだね」
にっこりと笑う燭台切に、このヒトは快く手を差し出してくれたのだなぁと今更ながらに思う雫石であった。

[初出]2015年6月29日(http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=5487527)
[加筆修正・再掲載]2015年10月16日