[初出]2015年6月29日(http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=5487527)
[加筆修正・再掲載]2015年10月16日
ふたたび尾が持ち上がり、叩きつけられ、広間を破壊する。 ――ああ、上段の間以外どうでもいいの?! 雫石は舞い上がる部材に思わず拳を作った。 飛び散る部材を避けつつ、燭台切が上段の間の前に戻ってきた。背中を向ける彼は、その“聖域”に上がるつもりはないらしい。 「いいかい、僕と同じだ――同じ付喪で刀剣男士。竜神じゃない。こんなに体格差があるわけない」 「……」 「この場所は君と僕とで作ったんだ――大手門のところとは違う。イメージして! 彼を彼らしい姿にするんだ」 ――イメージ。 子門に三の丸、巽門に清水門。石垣に――そしてこの大広間。 雫石は先ほどまで燭台切と繋いでいた手を見た。 「彼はどんな姿? イメージして、彼に注ぎ込んで!」 竜が吠えた。燭台切は刀を構えつつ、移動する。上段の間から遠くへ――竜の首がそれを追いかける。 「イメージ」 雫石はぐっと左手で近侍と繋いでいた右手を包み込むように握った。祈るようにそれを顎に当てる。 ――声は意外に若い感じ。肌は鱗と同じで褐色かしら。 自然とまぶたが下がる。だがまた、ドン、と音がしてパッと目を開けると 「集中して!」 という声が飛んできた。見れば、燭台切が爪を太刀で受け止めていた。 思わず駆け寄りたくなるが、それよりも、と再び目をつぶった。 ――ヒトのカタチに“彼”を変化させられれば、燭台切も楽に応戦できるはず。 若い男だ、雫石は念じた。 ――燭台切よりもきっと若い……男の子、と言ったら複雑な顔をするかムッとするか、そんな年頃の。 ぐっと眉間に力を込める――瞼の向こうに竜を探す。影を重ねる――ヒトの姿の。 数秒後、苦悶の獣の声ののち――瞼を透かす光があった。目を開ければ、桜が舞っている。 燭台切が正眼に構える先に、光源。 光が収まると、そこには年若い青年が片膝をついていた。 褐色の肌、癖のある髪は片方ばかり長い。ジャケット――学生服にも見えるそれの袖をまくった右腕には、鱗のような文様。……刺青だろうか。 青年は視線をめぐらすと、ギロリと上段の間にいる女を睨んだ。だが、竜であった時ほどの威圧感は――ない。 「これで五分だね」 燭台切が言えば、青年はそちらも睨む。 青年は立ち上がり、こちらも燭台切に向かって正眼に構えた。 「ちょっと待って!」 雫石が声を上げた。だがそれより早く、青年が床を蹴った。腰に巻いた布が舞う――燭台切は真っ向それを受け止める。 「久しぶりだね○○○○○」 「……?!」 噛み合っていた刃が離れる。 青年は驚いた顔で燭台切を見ている。 「ほんとに僕のこと覚えてないのかな」 少しばかりさみしげな声を出した燭台切に青年の切っ先が揺れた。その僅かな隙を一瞬で燭台切は詰める。トンと床を軽く蹴った一歩で。青年は驚きをもってそれを受け止め、また刃が噛み合う。 「お前……?!」 「あれ、ちょっと脳裏によみがえったかな?」 剣劇。右へ左へ互いに受け、流す。突き、払い、薙ぐ。足が進み、戻り、避け、進む、進む。風が生じ空気が動く――鉄のにおいがした。 言葉はもうない。あるのは刀同士のやり取りのみ。 ちょっと待って、という二度目の雫石の言葉は発するタイミングを完全に失われた。割り込めないほどに速い、そのやり取り。 ――いのちのやり取りをしてほしいんじゃないんだけど! 燭台切はそれをわかっているはずなのに、どうしたことだ。……彼が普段ひた隠しにしている好戦的な魂に火が付いてしまったとしか思えない。今日のこの短時間で、あの金の目が数度そんな色を発しているのに雫石は気づいてしまった。アレは実はそういう男なのだと。 『シンクロ率――……、ご……中…………』 そんな雫石の脳裏に、この場にはあり得ない声が降ってきた。おそらくは転送室のスピーカー越しの声。現実の耳が聞き取って、ここまで届いてしまったのだ。 ――聞き取れなかった、シンクロ率下がってるのかしら。 そうであれば、今回も失敗ということになる。 青年が燭台切と剣を交えているからなのか。それとも―― 剣劇の音がまた近付く。 『付喪神001、付喪神002との接触を継続中――警告、接触過剰』 ――ああやっぱりこの状態、普通じゃないんだ。 剣劇の音に重なった警告の声に雫石は頭を抱えた。そして脳裏に浮かんだのは撤退、の二字である。 雫石はぐっと腹に力を入れた。 交わる刃が離れる。 「――その試合、止め!」 その声に燭台切がピタリと動きを止め、こちらを見た。 だが。 「隙あり……!」 青年は止まらなかった。繰り出されたのは鋭い突き――燭台切の反応が一瞬遅れた。切っ先を流しつつも、押されて吹き飛ぶ。 吹き飛んで、上段の間の左手、クラヤミノ間か柳の間の襖に背中から激突し、埋もれた。 「燭台切!」 しまった、の意を込めて慌てて呼び、上段の間をそちらへ進めば追い打ちをかけようとしていた青年が止まった。 「燭台切、だと……?!」 雫石を射る目の表情が変わる。 「あんた今……、じゃあ、やはり……?!」 不用意にほかの付喪神の前で近侍の名を舌へのせるのはやはりまずかったか――雫石が息を詰めた時だった。 外れて破壊された襖の下から黒い風が飛び出した。 今度は青年の反応が一瞬遅れる。飛び出した燭台切が頭上高く刀を振り上げる。青年がそれを受けようと上段に刀を構える。が。 腕が下がり繰り出されたのは、足だった。 ガラ空きの青年の胴に黒い革靴が突きささる。 かは、と息を吐いて吹き飛んだのは今度は青年だった。こちらは襖を破ることなく、背中をしたたか柱にぶつけて、崩れ落ちる。 着地した燭台切は何かを吐き捨てた。口元を黒い手袋の甲で拭うと一瞬忌々しそうな顔をした。 「これでも実戦向きでね」 とんだケンカ剣法である。そのスマートを装った外見から、癖の悪い足技が出るとは。 「ぶ、無事?!」 「無事に決まってるよ、もう」 「さっきはごめん! タイミング完全に悪かった!」 いや今謝る時じゃないでしょ、と近侍が笑う。穏やかないつもの笑みだった。 「ぐ、ふ……」 その少し離れたところで声がした。青年はまだ刀を――あるいは“彼”の本体を手放してはいなかった。 燭台切が下しかけていた刀を構える。 「……燭台切、私は彼と話がしたかっただけなんだけど」 「うーん、初手を間違えちゃったから仕方ないね」 軽い調子で言う燭台切に雫石は頭を抱える。 「と、とにかく彼を落ち着かせて――」 雫石の語尾に、怒りの咆哮のようなものがかぶさった。見れば、倒れた姿勢から四肢を踏ん張った青年が全身の筋力を使い燭台切に向かって飛びかかってくるところだった。 一歩足を引いた燭台切が刀を両手で持ってそれを受け止める。 衝撃波が生じて、雫石は一歩押される形になる。 ヒトでは発生しえない風圧。通常の空間ではないはずのやりとり。 すでに剣劇は先ほどのものとは異なっている。一太刀ごとに風圧が生じ、火花が飛ぶ。ヒトとヒトとのやり取りではない。 「ちょっ……と!」 燭台切、と呼ぶ声はかき消されて届かない。 ――審神者は刀剣男士の総大将。 大将は兵を掌握しなければならない。 ――この状況、マズイわ。 兵どころか近侍一人が掌握できていない。 ドン、とまた衝撃波。長い髪が流される。それを抑えて、雫石は歯を食いしばる。 「燭台切光忠!」 呼んだ男は答えず、かわりに軽々と床を蹴って空中に舞う。青年がそれを追う――やはりヒトのやり取りではない。 大広間のまん真ん中で刀がぶつかる。 ビシリ、という音を聞いた気がして雫石は上を見上げた。格天井の格間の金箔に罅が見えたような気がして目をこすった。そして改めて付喪神に目をやれば、刀から放たれた衝撃波が天井や柱を苛んでいる。一撃ごとににささくれが生じ、さらなる一撃で罅が走る。 「――」 これは、崩れるのでは――雫石がそう思った時だった。 中空に舞った二人がまた激突し、ひと際大きな衝撃波が熱と光を伴って発生した。雫石は思わず両腕を交差させて頭をかばう。流された髪が彼女を引っ張る――そして、何かが崩れる音。 その音で落ちてくる天井の部材に気づいて飛びのけば、飛びのいた横で何かがガラガラと音を立てて崩れた。 崩れたのは、鳳凰――豪奢な床、それであった。 「あ――」 つがいの鳳は、凰を奪われていた。桐の木は半ばでもぎ取られ、金の地は無残な姿になっている。 見回せば、上段の間も降ってきた部材でめちゃくちゃになっており、広間の畳はめくれ、現れた床材も裂けてまるで危険な生き物のように木の板を逆立たせている。 ――これは、なに。 青年は上段の間を藩主の御座所と言った。ではこの乱れ具合はなんだ。 それに床は――構わないのか? 藩主を彩る鳳凰と桐は。瑞鳥は家臣たちへ仕える喜びを見せるものではないのか。つがいの鳥は、繁栄の象徴ではないのか。 千畳敷の大広間は? これは城の顔ではないのか。なぜ二人は土足なのだ、刀を振るって傷つけるのだ。ここは藩を動かす重要な場ではないのか。 雫石は改めて広間を見た。男が二人、自分たちの破壊行為には気づかず刀をふるい続けている。 ぱらり、と何かが降ってくる気配がして肩に落ちた。手を伸ばせば、それは格間の金箔だった。 格天井を彩る、人の手の届かないはずの、金の雲――それがなぜか、今彼女に降り注いでいる。無残な裏の黒い欠片となって。 大広間は二度目の破壊の時を迎えている。 先ほど見た三の丸、石垣、御成門の姿が雫石の胸に蘇る。 たしかにこれらは学術的発表も評価もできない再現にすぎない。しかし、しかし―― ぷつり、と雫石の頭の中で音がした。 「お――」 金箔の張られた部材の一部を握りこむと、雫石は無意識に息を吸い込んでいた。 「おだつなよ!!!! このっ!!!!!!」 吐き出した声はビリビリと空気を震わせ――剣舞を舞う男二人を停止させた。 きょとん、とした顔が二つ離れた所から彼女を見ていた。 おだつな、とは、この場合「ふざけるな」というニュアンスにあたる彼女の故郷の言葉で――どうやらその意気はその言葉に縁ある二人に届いたようだった。 「この」と力強く故郷の者が言うときはだいたい危ないのだ。……二人もそれを承知しているのだろうか、それぞれゆるゆると刀をおろした。水を差された、とも言うのかもしれない。 雫石は上段の間のすぐ先を指で示すと二人に言いつけた。 「そこさ座れ!!」 「さ」は「へ」や「に」と同じく助詞である。もはや彼女の助詞は標準語を離れて故郷ものになっていた。 いち早く動いたのは燭台切である。慌てたように上段の間の直前で正座をすると刀を右側へ置いた。 「おめもだ!!! こっちゃこ!(あなたもだ!!! こっちに来なさい!)」 雫石はビシリと青年を指差した。青年は驚いたように肩を震わせると、のろのろと彼女に従い、燭台切とは少し距離を置いて胡坐をかいた。刀は手放さない。 「なぁぁぁぁにや、おめらこの大広間大事なものなんだべ?! なにいだましことばりして、いってることとやってっことあっぺとっぺだべ!! とくにおめ!(何よ、あなたたちこの大広間って大事なものじゃないの?! 何もったいない――痛ましいことばっかりして、言ってることとやってることめちゃくちゃじゃない!! とくにあなた!)」 ビシリと再び指を突き付けられて、青年がむっとした顔をして向こうを向いた。 どうやら、通じているらしい。 雫石は腕と体で持ってあたりの惨状をみるように二人を促した。 燭台切が見せてくれた数々の景色は彼女には感動の二字では表しがたいほどひどく眩しいものであった。永遠に絶対に、見ることのかなわない景色たち! それを、それをいとも簡単に――こんなふうに破壊するとは!! 「え、ちょっと、なんで僕までごしゃがれてんの??(え、ちょっと、なんで僕まで怒られてるの??)」 燭台切が自分を指差し、言う。雫石はギッと近侍をにらんだ。 「なぁぁぁぁにや! コイツさばりかつけんのか!?(なんだと、この子にばっかり押しつけんの!?)」 燭台切がひゅっと息をのんだ。 つまるところ、一緒に暴れた燭台切も大いに同罪だというのである。 「だいたいだぁぁぁれも戦えなんて言ってねぇべさ!! 人の話ば聞け!!(だいたい誰も戦えなんて言ってないでしょう!! 人の話を聞け!!)」 「ご、ごもっとも……」 「名前呼ばれたら返事ばしろ!」 「はい……」 見る見るうちに燭台切が小さくなっていく。近侍として目が覚めたらしい。 雫石は肩で息をする。そのくらいの剣幕になっていた。 そんな雫石をフッと鼻で笑った者が一人。青年である。あるいはしゅんとする燭台切が滑稽だったのか。 「あ?! なんだこのっ!(あ? 何なのお前!)」 ギロリと睨まれてビクリと青年が震えた。 「だいたいおめがまず……(だいたいあなたがまず……)」 雫石がおとなしくなった青年に一発かましかけた時だった。彼女の目に、正座はともかく、刀を手放さず、目貫のあたりにしきりに触れている彼の手が目に入った。 そも、燭台切は刀を右に置いている。この場において刀を手放さないのはまだしも、手持無沙汰に触っているのはどういうことだ。安心できないから手放さないのはわかる。だが、説教中に目貫を手持無沙汰にいじくるとは。 ぷつん、とまた何かが切れる音がした。 「刀ばちょすな! 大倶利伽羅!!!!(刀をいじりまわすな! 大倶利伽羅!!!!)」 その言葉にぴょんと青年が座ったままわずか跳ねた。そして慌てて刀を右へ置く。そして。 「――え?」 三人の口から異口同音に同じものが出た。 「お、大倶利伽羅……?」 雫石がゆるゆると――今度は力なく――青年を指差した。 青年はじっとその指を見つめる。こちらも目を白黒させている。どうも、油断したところを彼女に抑えられてしまったらしい。 一拍遅れて笑ったのは燭台切だ。 「捕まったね、大倶利伽羅」 「……油断した……ごしゃがれたせいだ」 どうも、ひょんなことでつかんでしまったらしい。青年――付喪神の名を。 大倶利伽羅、と判明した青年は深く深くため息をついた。 そして、地震のように大広間が揺れだした。 「……なに?」 『付喪神002、シンクロ率上昇――』 降ってきたのは、転送室の声。 「観念したんだね、大倶利伽羅」 燭台切が立ち上がり、傍らの青年に手を伸ばす。青年は大きくため息をついて、その手を取って立ち上がる。 「おらいの言葉でごしゃがれたんでは、しゃーね(俺のくにの言葉で怒られたから、仕方ない)」 「んだなや(そうだね)」 意外なところで青年は陥落したらしい。笑って受けた燭台切は青年の手を離すと、上段の間に近づいた。そして主へ手を伸ばす。 「戻るよ――掴まって」 「あの……これでいいの?」 「ま、結果オーライってやつかな。後は向こうで」 雫石が燭台切の手を取ると、彼はぐいと彼女を引き寄せた。小上がりの分浮いた体は彼が抱えてくれた。 「落ちるよ」 落下する感覚――夢から覚めるような感覚がして、雫石は本能的に目を閉じた。 「それじゃ、向こうで」 燭台切が大倶利伽羅、と呼ばれた付喪神に声をかけるのが聞こえた。 『第2、第3フェーズ終了。SH-001MSおよび付喪神001の状態、正常。付喪神001の離脱を確認、全フェーズを終了。SH-001MS、全フェーズを終了。付喪神002、最終フェーズに移行を確認……』
[初出]2015年6月29日(http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=5487527)
[加筆修正・再掲載]2015年10月16日