雫石の意識と刀剣男士たちが現代に戻る。
身を起こせば、やはり一番先に傍らに来るのは燭台切だ。
手を差し出されて、取る。椅子から降りれば、体を支えられる。
『初戦ご苦労さん』
「とくに何をした記憶はないんですが」
『初陣にしちゃ上出来だ、前に出すぎず後ろに下がりすぎず』
モニタリング・ルームから降るオペレーションリーダーの声は明るい。
「そういえば、戻る時一緒になったのって」
『俺の預かっているもう一部隊だな。隣の部屋にいるんだが――』
津野がなにやらモゴモゴと口ごもる。
「……?」
一同が首をかしげていると、津野は再びはっきりとしゃべり始めた。
『顔合わせは後だと。亘理さんが発汗がひどいからシャワー浴びてきたらどうだって』
メディカルリーダーはきちんと雫石を診ていたらしい。雫石は苦笑すると、支える燭台切に大丈夫よと仕草で示し
「じゃあシャワー浴びてきます」
と言った。

文化庁地下の歴史修正主義対策局には作戦を執り行う区画と、事務を執り行う区画がある。
シャワールームは事務の区画の一番奥にある。
無機質な白い廊下を行くと、向かって右が女性用、左が男性用だ。
小さく同じフォントで「女」「男」とあるだけのドアはいかにも急ごしらえと言った感じで、目立つサインなどはない。
それでも雫石はよく確認して女性用シャワー室に入った。
入口は広く、奥は個室――アメリカの映画でよく見るシャワールームというか。
雫石は入口付近の棚に着替えを入れ――そこは銭湯式なのは日本的というか――、首筋にあるスーツの減圧ボタンに触れた。シュッと音がしてスーツの隙間を探すように空気が入り込み、わずかばかり締め付けがゆるくなる。それから順繰りに減圧ボタンに触れ、ぐいと上半身を抜け出させる。ぱさりと足元に落ちたそれをくるりとまとめ、下の下着を外す。
ワイヤー式のブラジャーはガス圧式のスーツと相性が悪いし、スーツが胸の形を整えてくれるのでそもそも着けないものなのだ。
すべて脱いでしまうと、謎の解放感がある。ガス圧の設定を変えてもらったほうがいいのだろうかと思いつつ、タオルを巻き付け、中ほどの個室を選んだ。
他の個室は使われていなかった。
――ひとりかぁ。
そう思うとまた謎の解放感がある。
タオルを解いて適当なところへ掛け、コックをひねると温かいお湯が降り注ぐ。
首の後ろなどを丹念に撫で、不快感を流した後、ふと気付く。
「石鹸とシャンプー……」
入口付近には鏡台などもある。確かそこに、使いきりの石鹸とシャンプーとリンスが用意してあったはずだ。
お湯のせいで張り付いた髪を後ろへ撫でつける。長い髪から水を抜きつつ、お湯を止める。
それから引っかけていたタオルで荒く全身を吹き、そのまま身につけると個室の扉を開けた。水が落ちないか確認しつつ、個室を出てきた道を戻る。
そして、鏡台脇の備品棚にたどりついたときのことだった。
不意に入口のドアが開き、不用心といった足取りで誰かが入ってきた。
――審神者さんかしら。
と思って目をやれば、数歩先で閉まるドア。
その真ん前に、背の高い、男。
雫石が先ほど身に着けていたスーツの男物を着た人。
はじめは意味がわからず、きょとんとしていた雫石だったが、見つめていた鋭い横顔が何かに気づいたのか不審そうに眉を寄せ、そしてこっちに顔を向けたところで状況を理解した。
「……あ、こっち女湯?」
極めて冷静な声はまごうことなき男のもの。雫石は息をのみ、数歩後ずさった。
――こえがでない。
男はいやにのんびりとあたりを見回した後、後ずさる雫石の気配に気づいた。
「待て、お前」
男が手を上げる。その視線の先。
『緊急』という白抜きされた赤いボタンがあった。
「雫石、やめろ、俺は今すぐ出る――」
雫石は男の制止を無視し、力いっぱい緊急ボタンを殴りつけた。


燭台切以下の刀剣男士たちは、もうひとつの津野の部隊の刀剣男士とモニタリング・ルームで自己紹介などをしていた。
あちらの主は男で、雫石と同じ歴史学者らしい。
歌仙や秋田、五虎退と旧知らしい男士たちは再会を喜び合い、見知らぬ者同士は挨拶した。
「へえ、あんたがそっちの近侍なのか」
「ああ」
のんびりという御手杵が実はその審神者の近侍だという。するどいところのない男士だが、それでいて人を和やかにさせるなにかがあった。
「いいなー女のヒト。なんかいい匂いしそうだよなぁ」
「……そうかな」
「そうそう。ウチはなんか『合宿所』らしいぜ、主曰く」
主のところは綺麗に片付いてんだけどな、他はもう御想像の通りよ、加州と堀川が頑張ってるんだけどなぁ……と御手杵はよくしゃべった。
どこかおっとりとしたその気性に悪い感じはしない、と燭台切は笑みで返す。
――そう言えば彼の主の一人、結城秀康公は家康公の実子だったか。
とふと、水戸に赴いてからの主同士のつながりに燭台切が思いをはせた時だった。
甲高く耳障りな警告音が天井から降ってきた。
『緊急事態発生。緊急事態発生。警備員は至急、女子シャワールームへ向かってください。繰り返します。緊急事態発生――』
「あ? なんだこれ?」
声を上げたのは御手杵である。
「津野くん」
亘理が声を上げた。
「他の女性審神者、シャワールーム使ってないわ」
「まじかよ」
メディカル・リーダーとオペレーション・リーダーのやり取りに一番に反応したのは燭台切だった。
身を翻してモニタリング・ルームを飛び出す。
「ま、待て! お前女子用入る気?!」
言いながら津野と、亘理が後に続く。その後を秋田と五虎退が追う。歌仙と大倶利伽羅も続いた。
それをぽかんと眺めたもう一つの部隊の刀剣男士たちは、
「すげぇ、反応はやい」
「よっぽどいい主なんだろうなぁ……」
などとつぶやいた。

たどりつけば、ドアの前で警備員たちがそこを開けるかどうするか迷っているようだった。
警備員は男ばかりで――思わず燭台切も足にブレーキをかけてしまう。そんな彼を押しのけ、
「どいて!」
と警備員たちを蹴散らすようにしたのは亘理だった。
彼女は躊躇なくドアを開け、中に踏み込んだ。燭台切も恐る恐る覗き込む警備員たちを押しのけて中に入る。
すると、立ち止った亘理の背中にぶつかりそうになった。
「亘理さん!」
思わず声を荒げれば、亘理は困ったように彼を見上げてきた。そして無言で指を指す。
指の示す先――そこには
「話せばわかる!」
「問答無用!!」
というやり取り。一人は女で、一人は男。
女は清掃用のデッキブラシを――タオル一枚巻き付けた姿で――幾度も振り下ろしている。
振り下ろした先には、桶を立て代わりにしてしゃがみこむ男。
ガッコン、ガッコン、という間抜けな音がシャワー室に響いている。
「……なにこれ」
亘理の言葉に燭台切は首を振った。
デッキブラシを振りまわす女は、もちろん雫石であった。
「南部さん! いっつも! なんで! あなたは!」
言葉尻に合わせてデッキブラシが振り下ろされ、桶をたたく。
「だから事故だっつってんだろこのクソ後輩!」
桶の向こうから男が声を上げる。
「どうしよう……」
亘理の言葉に燭台切は動いた。
ジャケットを脱いで後ろから雫石に歩み寄ると、それをむき出しの肩にかけた。それからその拍子に出来た隙にデッキブラシの柄をつかむ。
長い髪は冷えかけていた。露出した肌も。だというのに怒りによって振り返った頬やらが紅潮している。
「ミヤコ、落ち着こう」
ジャケット越しに肩をなで、抱え込むようにして男から引き離す。
数歩離れたところで男が深くため息をつき、桶を放り出して胡坐をかいた。前髪を掻きあげて脱力する。
その時だった。
「隙あり!」
思わぬ力でぐいとデッキブラシが動き、燭台切の手を逃れてしまった。
そして男の額あたりにゴン、と鈍い音を立てて命中する。
男はうめき声をあげ
「禿げたらどうしてくれる、このクソアマ……!!」
と言って床に沈みこんだ。
肩で息をする女主人の露出度の高さに気が向く前に、燭台切は事態の成り行きに茫然とした。ちなみに途中で亘理に抜かされた津野はやっと追い付き、デッキブラシを掲げる女と呻いている男を見つけると頭を抱えた。

[初出]2016年5月11日