「えー……これは雫石都子、そっちは南部健仁。どっちも俺の後輩だ」
あの後すっかり冷えた雫石はくしゃみをしだして、改めてシャワーを浴び、ナンブ・タケヒトという名前が判明した男は脳の軽い検査を受けた。異常はなかったという。
小一時間後、二部隊と関係者が揃ったモニター・ルームで津野はうんざりと二人の審神者をそれぞれ紹介した。円卓には審神者とリーダーたちがつき、刀剣男士はそれぞれの審神者の後ろのスツールに腰をかけている。なお、メディカルチームとエンジニアチームのメンバーはまとめの作業があるとかで、リーダー以外は席をはずしている。
雫石はきっちりとシャツのボタンを上まで留め、こちらも着替えた南部は額を氷で冷やしている。
「ちなみに雫石が二年後輩、南部が一年後輩になる」
「つまりオレは雫石の先輩に当たる」
「残念なことに」
言葉を丁々発止でやる様は、確かに他人ではなかった。
南部健仁と言う男は現状の間抜けな格好を脇へやれば、切れ長の目に整った顔をしており、なかなかの美形だった。
情報を整理すると、南部健仁は雫石と同じく津野の後輩であり、また雫石が非常勤として籍を置く大学――これは母校でもある――の助教、昔で言う助手であり、津野の部下たるもう一人審神者だという。御手杵が近侍を務めるのは、彼だ。
先ほど、戦場でドローンの声に覚えがあると雫石が思ったのは、ドローンを介してしゃべっているのが南部であったためだ。
「なんでもう一人が南部さんだって言ってくれなかったんですか!」
雫石は津野に詰め寄る。
「そういう反応すると思ったから、ずるずると先延ばしに……」
津野はぼそぼそと言う。
「オレじゃ嫌かい」
「嫌もなにも、追いコンの時お尻触ったこと忘れてませんからね!」
氷を額に当てつつどうでもよさそうな口調で言った南部に雫石は勢い込んで言った。
尻、と刀剣男士たちは色めき立ち、メディカル・リーダーの亘理が引きつった顔をした。エンジニア・リーダーの藤塚は目をぱちくりさせている。
燭台切が顎を引いたのに、大倶利伽羅だけが気づいた。
「謝罪を要求するのか? そこにあったから触っただけだぞ」
「登山家みたいなこと言わないでください、謝罪を要求します」
「では悪かった」
「心がこもってない!」
机をたたいて立ち上がって雫石に南部はケラケラと笑った。
南部の刀剣男士たちがヤレヤレと首を振り、雫石の刀剣男士たちは困惑した顔をする。
「雫石、俺、何年も言ってるけどその反応やめない限り南部は喜ぶだけだ」
津野がまたしてもうんざりとしたように言った。
「南部もやめろ。そろそろお前社会的に殺されるぞ」
南部はテーブルに氷袋を放り出すと肩をすくめて見せた。
「なんで南部さんなんですか」
「適度に偉くない職に就いていて、知識豊富、外国語堪能」
最近ドイツ経由の侵入の疑いがあるやつがいてな、と津野は続ける。
その言葉に雫石は南部が幼少期をドイツのケルンで過ごしていたということを思い出した。そのためなのか南部は標準ドイツ語とウィーン訛りが使えるのだ。
「南部自身は日本近代史だが、外交が専攻だしな。外国語文献も扱ってる。親父さんの影響もあるしな。戦国と幕末は重点警戒時代だから、お前と同じくこいつは適任と判断したわけだ」
「近代って……南部さんの専攻はむしろ明治では?」
「幕末明治は連続してるんだよ、アホらしいことを言うな」
お前は学部一年か、と続けた南部の言葉に雫石はむっとする。
そして思い出す。凡人の才能しか持たない研究者は自分の時代をわずか外れると、普通のヒトより少し詳しいだけの人物になることがあるが、南部はそうではないということを。
母校で10年ぶりに博士号を取得した男。彼の母親と離別したという父親がT大の教授に就任することが決まり――西洋史専攻の歴史家であった――、国内最高学府の旧帝大であるT大の入学を蹴り、わざわざ私立へ入学した変わり者。育った環境のためだろうか、主要なヨーロッパ大陸の言語を操り、西洋史と言語学からも引く手あまただった男。
時代の分析を求められるのであれば、現状動かしやすいのは彼あたりが限界だろうか。助教も忙しいが、肩書に「教授」などとつかない分その責任はやはり幾分軽いだろう。
雫石はストンと腰を下ろす。
「ボンボン学生相手に賭けマージャンできる身分でもなくなったんでね。お小遣いはありがたい」
「……ここ談話室じゃないんですから」
諌めるように言えば南部はひとつ息を吐いた。メディカル・リーダーとエンジニア・リーダーは意味がわからなかったようで、目をパチクリさせているだけだった。
南部は数年前までマージャンで不良学生から金を巻き上げていたのである。もちろん違法だ。200年間カジノというものの建設構想が浮いては沈むこの国では、現行犯であれば逮捕される類のもの。先ほどの言葉は助教という社会的立場を得たからそういうことはもうしていない、という意味だ。悪びれた様子のない南部を見やりつつ津野は言う。
「まあ、一応確認しとくけど、侵入の件はわざとじゃないんだな?」
「わざとなわけないじゃないですか。ジェンダーだかセクシャリティに対応したんだかわかりませんが、目立つサインもなければ色分けされているでもない、二つ扉が向かい合ってれば間違いますよ」
うんざりと南部は言って、放り出した氷袋を拾い上げ、だいぶ融けていることを確認するとまたそれをテーブルに放り出した。
「それじゃあ、ごめんなさいは?」
津野は放られた氷の袋を目で追った後、まるで子どもに言うかのようにそう言った。
「俺は餓鬼ですか。悪かったとは思いますが、殴られてるんですよこっちも」
トントンと額を示して言う南部に津野は亘理を振り返った。
「そもそも南部くんの誤進入がなければ殴られなかったわけだけど」
亘理は雫石に目をやりつつ言う。
「そうです」
雫石は数度頷きつつそう言った。
「それじゃあ、悪かった」
誠心誠意が感じられない見本のような謝罪だった。
「主さぁ、そういうのやめなよ」
と言ったのは加州清光であった。呆れているような困っているような複雑な表情だ。南部は振り返らない。
「謝ったじゃねぇか」
「頭も下げて」
堀川が言い聞かせるように言う。殴られたので痛み分けだと思っているらしい南部が舌打ちする音が聞こえて、歌仙がピクリと眉を動かした。歌仙さん、と小さく五虎退の声。
――やばい。
明らかにリーダー二人は引いているし、刀剣男士たちの放つ空気も悪い。雫石はあたりを見回した。津野と目が合う。すると彼は、困ったようにキュッと眉を寄せた。
雫石は南部の刀剣男士たちに手を挙げて言う。
「ありがとう。南部さんから、悪かった、なんて聞いたの久しぶりなの。もう十分よ――私も過剰防衛だったから」
「だとさ」
南部が言うと、御手杵が首を振った。そして申し訳なさそうに雫石に言う。
「ごめんなぁ、これでも戦場では大将としてはすごく出来がいいんだ、うちの主。俺たちもはじめはそこに惹かれて、さ。うちもそっちも津野さんとこにいるからきっとまた一緒になるだろうし、ほんとに勘弁してくれると助かる」
のんびりとしつつも優しげな声音に雫石は少し首を傾けた。
「南部さんが優秀なのは知ってます。指摘もいつも的確だし、今のところ能力が性格の悪さカバーしてるし」
南部はおや、という顔をして見せた。御手杵は笑う。
「んじゃ性格の悪さが能力を超えちまったら俺たち、あんたのところで世話になろうかなぁ」
「あるいは、ストライキってやつ起こした時」
御手杵の言葉に加州が続き、なんとか場が和んだ。
津野が、肝に銘じろ、と鋭く低く囁いて、南部が表情を引き締めたのが視界の端に映り、雫石はため息をついた。南部は津野にだけは逆らわない――あるいは逆らえないのだ。
傲岸不遜、と人が評し彼の指導教官され扱いに困った人物だというのに。
わずか一つの歳の差なのに、津野のあるいは柔和で抜けた性格のせいだろうか。男同士の力関係というのはよくわからない、と雫石は思う。
しばらく和んだ空気が場を支配した後、ふと津野は雫石に目を向けてきた。
「そういやお前、相変わらず緊急事態になっても声でないのな」
「え?」
「ボタン押す冷静さは認めるが、声がでないって言うのは生物的にまずいんじゃないの」
雫石は声が喉に張り付くタイプだった。
だから先ほども、悲鳴より先に足が後退し、ボタンを見つけてなんとか叩いた。
悲鳴を上げる練習をしろ、とかつてキャンパスを出たところで露出狂に合い、すたこら戻った先で運悪く南部にぶつかった際に言われたような気がする。
「いや悲鳴あげてあの状況で集まられても」
「人が来るのは同じだろ」
ひょい、と立ち上がった南部を一同が見る。
傍らに来た南部を眉をひそめて見上げれば、ひょいと彼が手を伸ばしてきた。
――なに。
と雫石が思った時だった。
「これ以上不埒な真似をするならその首、胴から切り離す」
低く鋭い声。顔にかかる影。
見上げれば、抜刀した燭台切が南部の首筋に刃を当てていた。
先ほどの声は戦場でしか聞かない、武人としての男の声であった。
防具は解いたスーツ姿のまま、抜き身の刀だけ召喚したらしい付喪神は主と不埒な男の間に立ち、その首をいましも取ろうとしている――そんな景色であった。
「……へえ」
手を雫石にのばしたまま、南部は笑う。
「いいナイトを手に入れたな、雫石。この眼帯、くろんぼ斬景秀か?」
「彼は燭台切光忠です」
「ふぅん、知らんな。しかし童貞ながら、俺の考えを察したと見える。むっつりか」
燭台切がさらに刃を数ミリ南部へ近づける。
「図星か」
と笑うだけの南部は手を引っ込めると顎を撫でた。そして視線は不躾に、雫石の胸のあたりにあからさまに落ちる。
雫石がギョッとして胸のあたりで腕をクロスさせれば、主君、と秋田がさらに彼女を庇うように進み出た。そして燭台切の下で、彼も本体を呼び出し、南部へ向ける。
「おい! やめろ!」
御手杵が声を上げた。
見れば音もなく忍び寄った堀川が燭台切の首筋へ狙いを定め、安定が秋田へ正眼に構えていた。
「おい、やめねぇか!」
「審神者同士だろう?!」
和泉守と歌仙が声を上げる。
「身内で揉めるのはどーかと思うぜ?」
同田貫が意外に冷静に言い、
「……光忠」
と大倶利伽羅が静かに名を呼ぶ。
五虎退は虎を一匹抱えてパニックを起こしかけていた。蛍丸はやはり大太刀か、わあ、などとのんきな声を出している。
「先ほどからの物言い、振る舞い、目に余る――正直、面白くないよ」
燭台切は振り返らずに言う。秋田が抜刀のまま困ったように振り返った。
「そ、そうだけど、そこまでしなくてもいいっていうか、いやムカついてはいるんだけど」
雫石はあわててそう言い、津野を見た。
先ほどと違い、津野は意外にも冷静だった。
「命令しろ」
「でも」
「主はお前だ」
キッパリと言われて、雫石は近侍の背中を見上げ――一つ息をのんだ。
「刀を仕舞なさい、燭台切光忠――そこまでのことは望んでいません」
沈黙。一瞬後燭台切は鞘も召喚すると、納刀し、右手に下げた。
雫石はほっと息をつき、「秋田も」と言う。秋田はこっくり頷き、彼女を元気づけるように笑うと、刀を納めてそっとその傍らに寄り添った。
「堀川、安定、お前らもだ」
南部が言うと、新撰組にまつろう二振は静かに下がった。
「もー、いつかこうなると思った!」
加州が頭を抱え、御手杵が安堵のため息をついた。
雫石はそれを見て、立ち上がると燭台切に脇へよけるように言い、南部と向き合う。
「今回はさすがにこうさせていただきます、甘んじて受けてください」
言うが早いか、返答を待たずに雫石は右手をひらめかせた。
乾いた音が二発。
南部配下の刀剣男士は頭を抱えつつもそれを当然のことだと受け止め、それぞれのリーダーたちは天を仰いだ。
雫石の刀剣男士たちの反応は様々で、間近で見ていた燭台切は露出している左目を見開いていた。
「――まずまず、ってやつか」
そう言ったのは、往復ビンタを喰らったはずの南部本人であった。

[初出]2016年5月11日