燭台切は本丸でやる畑仕事は好きだったから、その延長で田植えに興味がある。これは本当のことだった。
しかし今日はもう作業が始まっているとかで、参加はさせてもらえないようだった。
「というか作業着買いに行かないと」
「あー、光忠くん背、高いもんねぇ。予備にサイズないかも」
姉の気づきに佐智子は頷く。光忠くん、というのは雫石が誤って「庄子」を「燭台切」と言ってしまわないようにに、ここにいる間は「光忠」で呼ぶとした取り決めが佐智子まで適用を延長された結果であった。
「ついでに俺の去年の、お尻やぶれてた……」
熊谷が小さな声で言うと
「アンタのは横幅もあるからもっとないんだよね……お店にも」
と佐智子がため息をついた。
「お二人も手伝うんですか?」
「ん、バイト代もらえるし、今年のお米も保証されるし、家族だからね。顔見せもかねて」
「普段はなにを?」
「私はランジェリーの販売。くまさんはそのお店のはす向かいにある楽器やさん」
「楽器」
燭台切の言葉に熊谷がにこにこ笑う。
「うん、みんな意外って言いますよ」
「上手いんだよ、サックス」
「へえ、聞きたいなぁ」
時間が合れば――とにこやかに答えた熊谷の声に佐智子の声が重なる。
「さて、おしゃべりは移動しながらでもできるから、作業着買いに行こう」
「そうね」
姉が同意した。

熊谷のものだという車に乗る。彼もやはりダッシュボードのあたりふれて、格納してあったハンドルを出現させるとそれを自らで運転しだした。助手席には佐智子。雫石主従は後部座席に乗り込んだ。
「くまさんいつもありがとう。佐智子起きなかったでしょう?」
「いつものことですから。だから、ちょっと早くに起こす作業したんですけどねぇ……」
「はいはい遅刻してすみませんでしたー」
気の置けない会話が続く。燭台切は若干の所在なさを感じた。
車は田んぼの間をいく――機械や人がいる、水を張ったばかりの、緑の心許ない田んぼの間を。さわさわと苗が風にそよいで緑が美しいと感じるところには人がなく、燭台切はそこへ目をよく惹かれた。
人が美しいと感じる自然は実は、人が自分の都合のよいように仕上げた景色だという。人と同じくそれに惹かれるのはやはり、人の手になる自分だからか――と燭台切が思っていると、視線を感じた。横を見れば、雫石が彼を見ていた。
「珍しい?」
「間近で見るのは初めてだからね」
そして二人は同じく景色に目をやった。
運転席と助手席の二人が、それに気づいて嬉しそうに目配せし合った。

背が高い二人、しかも一方は体格もよいとなると、作業着捜索は難航した。
しかしなんとか見つかり、試着してみれば
「イケメンはなんでも似合うねぇ」
と佐智子は燭台切に感心し、
「くまさん、楽器より農具似合うよね……」
と雫石は熊谷の完璧ぶりに笑って見せた。姉妹も新しい小花の散るいかにもそれらしい日除けつきの帽子を買った。
その帰り道、「いつものジャージじゃだめなの」と燭台切が雫石に聞けば、彼女は「泥ってしつこいよ」と言って取り合わなかった。
青いつなぎの作業着に燭台切はすこしばかり抵抗があるのだった。
すると熊谷がバックミラー越しに顔を向けてきた。
「ジャージでもいいんですけどね、転んだときなんか、ズボンの隙間から泥が入ってきたりするんですよ。虫なんかもくるし。俺はつなぎがおすすめだなぁ」
「……なるほど」
「あと腰にしめつけがないから屈みやすいし」
「それはアンタだけ」
すかさず佐智子が言うと、車内が笑いに包まれた。

家へ帰ると、姉妹は夕飯の準備をすると言う。父母はくたくただろうから、というのが姉妹の弁である。
「えー……」
冷蔵庫をのぞきつつ佐智子が言う。
「なんか人数分食べれそうなのないよ」
「ふだん二人暮らしになっちゃってるからね」
「何か買ってくればよかったぁ」
「野菜ならじーちゃんところにあるんじゃない?」
「野菜ねぇ……」
燭台切は折り目正しく正座をして、リビングと対面式のキッチンを見ていた。
「足、崩していいんですよ」
のんびりとした声が傍らから聞こえて、燭台切は見上げた。なにやら手にビールとコップを持った熊谷がいた。
「はい」
彼は燭台切の隣にあぐらをかくと、コップを彼に渡し、ビールを注いできた。それから手酌をしようとする熊谷から、燭台切はあわてて缶を奪い取り、注いでやった。
「ずいぶん慣れてますね」
「こっちのほうが好きなんですよ、自分の実家より。お父さん優しいし」
にこにこ笑いながら熊谷はコップを傾ける。
主を差し置いて飲んでもいいのだろうか、とコップを見つめていると
「はい、どーぞ」
と佐智子がチーズを適当に乗せた皿を持ってきた。奥のキッチンを見れば、都子のほうはフライパンやら鍋やらを出したりしまったりしている。
「僕も手伝う?」
「ううん、大丈夫」
その燭台切と雫石のやりとりに、佐智子は笑った。
「ねえ、ただの同僚じゃないでしょ? ふつう、手伝いますか、だもん」
「ええと」
どうしたものか。僕はそれでもかまわないんだけど。
とは胸の中で言うだけにする。
「都子さんとは趣味が合って仲良くしてもらってるんです。伊達政宗、とか」
「政宗」
妹とその婚約者が顔を見合わせた。
「姉の政宗の話についていけるんですか?」
「? ええ」
「外交戦略がどうだのこうだの?」
「政宗公は見事な外交をなさったと思いますよ」
再び二人が顔を見合わせた。
――しまった、尊敬語とかはまずいかな。
燭台切がそう思う間に、二人はみるみる――特に妹の方が――笑顔になった。
その時――不意にリビングのドアが開いた。
「ただいま」
入ってきたのは男女二人――先ほどあった雫石の父母であった。
「あら、佐智子帰ってたの」
「うん。明日から手伝うから」
「くまさんもいつもありがとうね」
「ビール、いただいちゃいました」
その言葉に父が苦笑した。
「あら都子――なにしてるの?」
「疲れたでしょう? 何か作ろうと思ったんだけど――」
その言葉に母はにっこりした。
「あら、いいのよ。お寿司買ってきたから」
妻のその言葉に、夫が大きな寿司桶を持ち上げて見せた。
「お寿司」
姉がつぶやく間に妹が立ち上がり、楽しげに寿司を受け取った。
「そうだね、お寿司だよ! お母さん!」
「おばあちゃんが赤飯炊こうか、って言ってたけどおばあちゃんも疲れてるからね」
「赤飯」
雫石がまたつぶやいた。
「……あのね、先に行っておくけど、同僚、だから」
「お客さんには変わりないでしょう?」
と母はにっこりした。
「シャワー浴びてくるから、ちょっと待っててね」
言って父母は着替えにいってしまった。


寿司を囲んでの夕食となった。
本丸屋敷のにぎやかさとも異なる食事の景色に燭台切はきちんと、そしておもしろそうに対応した。
津野がでっち上げた文化庁職員という身分に見事なりすます。付喪神の年季だろうか、それとも家族には長女ほどの知識がないためだろろうか、職務内容と学術的な話にほころびはなかった。
そういえばこれまで近侍にアルコールをほとんど飲ませていなかったことに気づいて、雫石は彼のグラスをそっとウーロン茶のものと取り替えた。めざとく気づいた父が言う。
「お酒、だめかい?」
「あ、いえ。そういう訳ではないんですが」
――彼の旧主の酒癖の悪さを思えば、警戒するに越したことはない。
雫石がとなりですましていると意図を読みとったか燭台切が雫石のパーソナルスペースに入り込んできてささやいた。
「僕は公とは違うよ」
「顔赤いよ」
「ん?」
男が肌のごく近くにきても動揺しない長女の様子に母と妹は顔を見合わせて笑いあい、父はさすがに複雑そうな顔をし、妹の婚約者はそんな父のグラスにビールを注いでやった。
「ああ、そういえば――」
それからふと父は気づいたように――あるいはそれを装って――言った。
「右目は、事故か何かで?」
それは雫石には当たり前になっていること――あるいは、旧主の姿を模す彼には当たり前すぎてあえて尋ねなかったことだった。
燭台切は少し驚いた様子だったが、あわてることなく眼帯に触れ、人なつっこく笑った。
「ずいぶん昔に。眼球は無事なので、眼帯をしているんです」
「え、あ、ああ――不躾なことを聞いてしまったね」
するすると出てきた言葉に雫石はやや首を傾げた。彼はここまで想定していたのだろうか。
――そういえばほんとに、どうなっているんだろう、右目。
これまでの生活や戦闘で彼が右側に対してリスクやハンデを抱えている様子はなかった。付喪神だから――だろうか。では単純に、その眼帯は旧主への畏敬かなにかなのだろうか。
――でも、生前政宗は眼帯をしていなかったはず。
正室愛姫と息子忠宗が作らせた菩提寺の木像の右目はやや瞼が落ち眼球は白濁しているが描写されており、墓所の調査では副葬品として煙管や鉛筆まで発見されたというのに眼帯の類はなかった。だから、政宗といえば眼帯というイメージは映像技術が発達して以降、史実とは無関係に彼に与えられた視覚的なアトリビュートなのだ。一目で伊達政宗と判別できるようにした後世の人間の勝手なしるし。その決定打になったのは、1980年代に放送された大河ドラマだ。
雫石はふと、今更違和感を覚えた。
もちろん雫石もあのドラマで政宗を演じた役者のすばらしさは知っているし――あれが各方面の政宗観に与えた影響がすさまじいのは知っている。
それでも政宗の刀が生前主がしていなかった眼帯をしていることに今の今まで違和感を抱かなかった自分に気づいて血が引く思いだった。
「都子? どうしたの?」
雫石の顔色の変化に一番に気づいたのは燭台切だった。隣にいるからだろうか。
「え――うん、眼帯の話、聞いたことなかったから」
「……」
燭台切の露出した左目がわずか細くなった――その細さに一瞬背筋が寒くなったが、直後、口元が弧を描いて笑みだと知る。
「ケン・ワタナベみたいでかっこいいでしょ?」
「……そうね」
雫石がか細く答えると、彼は目をそらした。その動きが少し冷たいように感じたのは雫石の気のせいだろうか。
それから彼は場を見渡して言う。
「そんなわけで、僕は気にしてはいないんです――だからみなさんもお気になさらず」
場がほっと息をついたのがわかった。
それから雫石の家族と妹の婚約者は燭台切に聞きたいことを聞き、燭台切は与えられた設定の通りそれに見事に答えて見せた。


「光忠くんに客間使ってもらうから、くまさんは佐智子の部屋でいい?」
「構わないです」
寿司桶がすっかりからになると、夕食は終わりとなった。
母はごくふつうに大男の下の娘の婚約者にそう言い、父も顔色を変えなかった。婚姻前だというのに、彼はもうこの家族の一員なのだ、と燭台切は思った。
「しょ……ミツタダはこっち」
普段呼ばれない名で主に呼ばれて燭台切はそちらへ向かう。廊下を出て玄関近くの戸を引く彼女の向こうに和室があった。
「お布団出すね」
言って彼女は畳にあがり、押入を開けよいしょ、と布団を取り出した。
燭台切はアルコールのせいでやや心許ない足を動かして、彼女の横からそれをさらう。
「自分でできるよ」
「そう?」
それを証明するようにきちんと布団を敷き、シーツをかけると雫石は納得したようだった。
「お風呂は――」
と雫石は傍らに立ち上がった男にトイレと風呂の場所を解説する。
そんな彼女を見下ろしながら、珍しくぼうやりとした口調で燭台切は言った。
「君の部屋は?」
「え?」
「見てみたいな、君の育ったところ」
しなだれるように女の方へ身を傾ければ、主からわずか距離をとられる。
「――いいけど、特になにもないよ。主要なものは持って行っちゃったし」
「うん、それでもいいよ」
雫石は逡巡し――こっち、と彼を階段の方へ連れて行った。
二階には部屋が四つほどあるようだった。そのうち一つの部屋から彼女の妹たちの楽しげな笑い声が聞こえてきて「寝れるといいけど」と雫石がぽつりとつぶやくのが聞こえた。
「はい、ここ」
と開けたのはにぎやかなドアのとなりのドア。
中に入ればそこは洋室で――ベッドと学習机、それから空の衣装かけがあるだけだった。
ぽつんとベッドの足下に、彼女のカート。
燭台切は辺りを見回す。その間に、雫石はベッドに腰掛けていた。
「いらないものはあらかた捨てちゃったし――卒業証書とかアルバムとか、あえて本で買った小説とかはクローゼット。がっかりした?」
「いや」
いいながら燭台切は学習机とセットのいすに座った。それは背が高く足の長い彼には窮屈なものだった。
それから彼は机の天板に触れる。
「ここで勉強を?」
「うん、英語も数学も国語も。それから博物館のひとから教えてもらった本も読んだな」
「政宗公の?」
「そう、政宗公のも」
天板をそっとなでると、彼女は苦笑した。
「そこに付喪神はいないでしょ。さ、明日早いからもう休んで」
そう言って、追い立てられる。
部屋を出れば、本丸屋敷とは違うドアが二人を隔てる。
「おやすみなさい」
「ああ、お休み」
彼女の顔が徐々に隠れて、ぱたん、と閉まった。
燭台切はゆっくりと階段を下りて、客間へ入った。

[初出]2017年1月30日