「光忠くん、畑に興味あるのすかや?」
「ある、というか小さな畑をやっていまして」
「あらー都子ちゃん教えてけねの?」
「ばあちゃん、意外と私何にも知らないよ……。コンパニオンプランツとか難しいの知りたいんだもん、この人」
孫娘の答えに祖母は笑う。
「竜太郎以外で初めてだなや、興味もったの」
「おじいさんは?」
「ずんつぁんはなぁ、従業員のこと考えねばなんねから」
ここは母屋の玄関先だ。祖母はにこにこ笑ってたたきへ降りてサンダルをひっかけた。案内してくれるのだ。
と、そこへ玄関へ居間から顔を出した女の子が二人。そっくりな顔は竜太郎の双子の妹だという。彼女らは燭台切をみてこそこそ楽しそうに言葉を交わしている。
「おはようございます」
と燭台切がそちらに声を投げれば、二人はうれしそうに「おはようございます!」と返してくれた。兄と違って彼女たちの態度は友好的だった。それに安心して思わず微笑むと、年若い娘たちがきゃっと楽しそうに笑った。
「さてさて、畑、行くよ」
と雫石が祖母の後を追いつつ言った。

目的の場所にたどり着くと、うーんと祖母が言った。
「今、トマトだのきゅうりだの、これからのを植えたばりで、見てもおもせぐねなぁ」
畑には若い緑があるばかりだった。支柱にすがるようにしはじめたのもが、トマトだったりキュウリだったりするのだろう。
そこは手入れの行き届いた、小さな畑だった。
「これ……ハーブですか?」
燭台切はトマトの支柱の傍らにかがみ込んだ。
「バジルだなや。トマトの味がいぐなって、虫が来ねくなる」
地をはうように生える柔らかな緑――柔らかい三角の葉っぱは確かにハーブだ。
「料理に添えると彩りがよくなるし、ハーブティにもいいですね」
と燭台切が言うと「んだんだ」と祖母はうれしそうにした。
「ばあちゃん、これマリーゴールドだっけ」
きゅうりとなすの畝で雫石が声を上げた。
「花、ですか?」
「んだー、黄色で可愛いのっしゃ」
祖母はゆっくりと孫に歩み寄った。まだ花はなく、野菜と一緒に植えられたのか、葉も小さい。
「根っこの病気にいいのっしゃ」
「へぇ……」
祖母はにこにこと燭台切を見る。
「私の本、けてやろうか。今の人だから、紙の本なんて読まねべか」
「いえ、読みます。いただけるんですか?」
「間違って二冊買ってしまったのがあるからや」
今日のうちに探しておく、という主の祖母の言葉に燭台切は心から礼を言い、孫娘はそんな彼を見てうれしそうにした。その表情に気づいたのは、祖母だけだった。


あなた、午前中は料理に使いたいでしょう?
畑を一通り見終わると、雫石はそう言って燭台切を連れ出した。
「畑のトマトが実ってれば、いただこうかと思ったんだけど」
「まだ早いね」
乗り込むのは雫石の両親が所有しているという車だ。
運転席に雫石、燭台切は自然に助手席を選んだ。
ダッシュボードにふれて彼女はハンドルを出現させた。
「……君が運転するの?」
「これでも免許取得から9年です」
言って彼女はアクセルを踏む。
燭台切は思わず身構えたが、衝撃は特になく、緩やかな滑り出しだった。
昨日と同じく車は緑の田の間を行き、昨日の衣料品店の近くのスーパーにたどり着く。
店の中は東京とあまり変わりのない景色が広がっている。
「ソースは考えてるの?」
「ひとつはミートソースにしようかな、って。余ったら明日、トーストに使ってもらってもいいし。圧力鍋ある?」
「じいちゃんとこになければ、うちからとってくるよ」
「わかった。それともう一品、炒めるパスタも用意しようかなって」
「面倒じゃない?」
「僕がこういうの好きなの、知ってるでしょ」
それもそうか、と女が言った。
棚に並ぶ南から運ばれてきたトマトは見事に熟れていて、おいしそうだ。でもそれだけではだめで――トマトのみだと予算オーバーなのだ――、ホールトマトの缶詰とピューレも仕入れる。椎茸と、挽き肉、タマネギも。
「ほかに入れたいもの、ある?」
「あんまり冒険しなくていいよ」
「ローリエはあるかな?」
「……買っていこう」
あとはサラダをつけようか、コンソメスープも欲しいかな、と燭台切が歌うように言ったときだった。
「やだ、都子?!」
甲高い声がして、主がぎこちなく足を止めた。振り返れば、幼児を連れた女が一人。
「わー、久しぶり! ほんとに彼氏と帰ってきたんだ!」
女が子供の手を引っ張りながらやってくる。燭台切は雫石の肩がこわばり、それから息を吐き出してあえて力を抜くのを目の端でとらえた。
「彼氏じゃないの」
――でもいいんだけど、僕は。
と胸の中で付け加えれば、またまたまぁ、といういう女の声がする。
「町一番の変わり者のあんたがこんなイケメン連れてくるなんて。勝ち組じゃん?」
燭台切はあいまいに笑う主の傍らで少しばかり困惑した。
彼女に旧友との再会を喜ぶ色がまったく見られなかったからだ。
「あんたさ、いつもお高く止まって本なんか読んじゃって。仙台の高校にも行っちゃってさー。果ては東京でハカセになったんでしょ、ほんとは勝ち組だよねー」
「はくしごう、ね。正規の職に就いてる訳じゃないから、収入はよくないのよ」
「えー! でも、都会で暮らせるんでしょう?」
「……」
「いいなー。イケメン連れてでも独身で。いいよねー好きなことできて。私なんかもう、二人目! 泣いて騒いでばっかりでいやんなっちゃう! いいよね、都子は、頭いいから東京にも行けて、好きなことできて!」
「失礼、彼女の家族が待っているので」
燭台切は頬のあたりに力を込めて見たことのない表情をしている雫石の肘を引いて名前の知らない女に笑いかけた。
自分の笑顔の効用に女がぼおっとなった隙に彼女を連れて脱出する。
なるべく足早にレジを目指せば
「ごめん、気を使わせて」
という小さな声がした。

「結婚する、子ども産む、って決めたのは自分なのに、なんで人のこといいなーとか言えるんだろう」
帰り道、ハンドルを握りつつ言う雫石に燭台切は顔を向ける。
「好きなことしてる自覚はあるけど、それに必要な対価は払っているつもりなんだけどね。代償、なんて言い方はしたくないけど」
「おじいさんのお怒りに、奨学金に特待生、だね」
「うん――あと、普通の、一般的な収入とか? 頭の良さだって生まれのありがたみは自覚しているつもり。親が勉強しててもいい環境においてくれたこともね。高校の通学費とか、大学の生活費とか」
「君は生まれたときからは政宗公の外交政策やら内政のすごさは知らなかったよね。公や奥州の政治情勢なんかは、君が努力して知識として獲得したものだよ」
ハンドルを握り前を向いたままの彼女が笑った――自嘲のようにも見えた。
「気を使わせてごめんね。……ありがとう。この人生は私が納得して獲得した人生だって思ってるし、実際そうだと思う。でも、ときどきさ、わからなくなるんだ」
なにがわからなくなるのか、ついぞ彼女は口にしなかった。
しかしそれが、伴侶を得て子を産むという有史以来――いや以前から女性というモノが担い、期待された役割への葛藤だということを、燭台切は長く人に寄り添うその刃生から悟った。人が無意識に、ときに威圧的に要求する生物的・社会的役割を彼女を選ばず、ある意味女という性にとって――特にこの国では――前衛的なままであり続ける生き方を選んだ、という自身の人生への葛藤だ。
この時代の基準では彼女は若い部類に入るのだろうか。燭台切は、彼女の年齢がある時代では行かず後家と言われる年齢でもあることもよく知っていた。


「おじゃまします」
と母屋へ上がりこんで、先導されるのはキッチン。
ひとつづきのダイニングには、彼女の二人の従妹と叔母がいた。叔母は昨日、作業場で会った人でもあった。
「ほんとうに願いしても……?」
「うん、おばさんは休んでて。私も手伝うから」
三人は顔を見合わせた。
「じゃあ休憩の時のおやつ先に用意しちゃおうかな」
「「私も手伝う」」
と叔母の声に従妹たちが続く。
「それじゃあ、事務所にいるね」
「どーぞー」
買い物袋を作業台に起きながら言うと、双子たちが雫石に歩み寄った。
「都子ちゃん、よかったね」
「え?」
「私たちも、前の人よりずっと好き」
「へ?」
双子はくすくす笑うと、彼女たちの母を追ってダイニングキッチンを出ていった。
「……前の人?」
食材を並べつつ燭台切が不思議そうに言った。雫石はため息をついた。
「元彼。同じ学部でね――いろいろ見せたくて来たの、ここへ」
「――」
「でもさ、なし崩しに何となく史学科に入ったタイプだったからあんまり反応よくなかったんだよねぇ……今思えば、そこで気づいてればよかったんだけど」
「ご両親にはあわせたの?」
「ううん、面倒だから日帰りで――と思ったんだけど、あの子たちに見つかって」
「……なるほど」
ため息をつく女主人をみながら、燭台切は意味もなくトマトを二、三回放り投げてはキャッチするという行為を繰り返した。胸に宿った違和感が彼に食材を乱雑に扱わせたのだが、彼はまだその名を知らず、彼女の方もそれに気づきはしなかった。

野菜を刻み、炒める。挽き肉も併せて鍋へ入れ、火が通ったところでトマトと隠し味。あとは圧力鍋にお任せだ。
野菜を刻むのは二人でやったが、そこから先は燭台切がひとりでなんでもやってみせた。量が多いためお玉などが重くなり、雫石の腕の力では攪拌やらが非常にゆっくりなってしまったというのも、彼女が見学者になってしまった理由の一つだった。燭台切は男の腕力でもって手早く調理を進めたのだ。
「すごい量、明日のお昼もまかなえそう」
「でしょう? 明日のほうが味はいいと思うよ」
燭台切は得意そうに胸を反らした。
「あとは先に麺を茹でて、ご希望があれば和風パスタも作るよ」
挽き肉はその分も買ったから、ガーリックバターと醤油で炒めようか、と続ける燭台切を雫石はじっと見上げていた。
「……なにかな」
「いや……あなた人になってまだ二ヶ月よね」
「今五月だから、そうだね」
雫石がゆるゆると首を振り、燭台切はその動作の意味が分からず首を傾げた。このときどうも、雫石は女として彼に張り合うのをやめたらしいのだと燭台切は後に述懐することになるが、それはまた別の話である。

叔父を先頭に午前の作業を終えた者たちが戻ってきた。
従業員は初日と最終日に景気付けと慰労の弁当が出る以外はみな家に帰ったり、持参したものを昼食とする。母屋に戻って食事をとるのは雫石の親戚一同なのだ。
作業が長引きそうなときは、握り飯や弁当を田んぼの畦まで運ぶこともあるという。
「いい匂い!」
と言ったのは佐智子だ。
母屋にはキッチンを挟んでダイニングが二つあった。ひとつはふつうのフローリングのダイニングだが、もう一つは土間のダイニングだった。キッチンをはさんで東西にある二つのダイニングのうち、一段低く作ってある土間のダイニングは勝手口をもっていた。
表の水道で泥や汚れを落とした人たちは、勝手口で長靴をサンダルに履き替えて土間のダイニングへあがってくる。
なるほど、つなぎの泥を畳とかフローリングに落とさないためか、と燭台切は感心した。あとで雫石に聞けば、農閑期にあの土間は作業スペース兼道具置き場になると言う。
「今日はパスタにサラダにスープ。しょ……ミツタダが用意してくれたのよ」
傍らで前菜としてスープをカップにとりわけ始めた雫石が言う。
ガラスの小さな小鉢に入れた鮮やかなサラダは向こうから手が伸びていくつか連れて行かれた。
「ミートソースと、挽き肉とガーリック醤油の和風パスタがあるんです。どっちがいいですか?」
ミートソース、と言ったのは男が多く、和風パスタはにんにくにもめげず女性陣が名乗りを上げた。
「俺は両方かなぁ」
という熊谷に皆が笑った。
軽やかにフライパンを操り始めた燭台切のよこで、雫石は大盛りのパスタに丁寧にミートソースをかけていく。上手に入れ替わり、雫石の用意した皿にパスタを移す燭台切や、取り分けて重くなった雫石のパスタ皿を燭台切がタイミング良く受け取る様子を見て
「息ピッタリねぇ」
と年かさの女たちが顔を見合わせた。
竜太郎はむっつりと、おもしろくなさそうに自分の分のミートソーススパゲッティを運んでいった。
「……立派なもんだなや」
そう言ったのは上座の席にどっかりと腰を下ろした雫石の祖父だった。彼は傍らにあった水差しに手を伸ばすと水をコップへ注ぎ、まずそれを隣に座る雫石の祖母たる妻の前へ置いてやった。
見かけと雫石から聞いた事柄から、古い時代の亭主関白かと思ったがそうでもないらしいと燭台切は思った。
それから雫石と燭台切が給仕を終え、席に着くと、まず祖父がいただきます、といい皆がそれに手を合わせて続いた。
「……うめぇ!」
「わぁ、肉の存在感あるね!」
「このにんにく醤油、使いでがありそう」
「教えてくれる?」
とそれぞれから感想があがり、燭台切はほっと息をついた。
「ありがとうございます」
「よかったね」
「うん」
言って彼女はミートソーススパゲッティをひとつくるりとフォークに巻き付けた。
「ほんとは、デザートまで用意したかったんですが……」
「デザート!」
食卓の一同が一斉に声を上げた。
「いやいやいや、すげぇなぁ。スープにサラダだってついてんだぞ」
「うちだったらスパゲッティでおしまいだしねぇ。今度、稲刈り来る? 来るんだったら、お願いしようかしら!」
と叔父夫婦が楽しそうに言った。
それからは、他愛ない話が続く。
一通り食べ終わる頃になると、熊谷がおもむろに立ち上がってキッチンに上がり、茹でてタッパーに入れてあった残りのパスタを見事捜し当てた。
「いただいてもいいかな……ミートソースも」
「どうぞどうぞ」
佐智子が頭を抱えるのを横目にみつつ、燭台切は笑いながら言った。
「ああ、そうだ」
と言って祖母が不意に立ち上がってどこかへ行ってしまった。ふと見れば雫石の祖父がいなくなった妻の席から皿を回収し、自分のものに重ねている。やはり見かけとは違い愛妻家なのだろうか、と燭台切は彼の行動に思う。
雫石が立ち上がり、燭台切の分と自分の分の皿をまとめると、祖父母の分も一緒に台所へ片づけに向かった。近づいた祖父と孫娘は会話もなく、視線もかち合わなかった。
それを燭台切が気にする間に
「あった、あった」
と祖母が戻ってきた。
「光忠くん、これ、これ」
ひょいと差し出されたのは『コンパニオンプランツ』とそのものズバリの、写真の入ったムック本のようだった。朝に畑で約束した本だろう。
「ありがとうございます」
丁寧に受け取って、パラパラとページをめくれば、写真と図版の多い本だった。それでも丁寧に野菜と花、ハーブの相性と効用がかかれているようだ。
「光忠くん、その腕時計、受信できるすかや」
声をかけられてページから目を上げれば、にこにこと笑う主の祖母。
燭台切が「もちろん」と言うと、祖母が手に収まる小さなメモタブレットを差し出してきた。時計をかざすと、データの送受信。
ホログラムが展開する。
目の前には、きれいに書き取られたノートが現れた。
「ばばのけんきゅーの一部だべ」
「実践データですか?! いいんですか、いただいても?」
ノートはペンタブレットで書かれたものだろうか。可愛らしい文字で、年月日とともにさまざまなデータが書き留められている。コンパニオンプランツを植えたものと植えないものの違い。どこの畑になにを植えたか、なにとなにを隣り合わせてみたか、肥料はなんだ、手作り農薬はこれ、なにに悪影響が見受けられ、どれが相互に良い作用をしたか……それらが事細かにきちんと整理されている。時折、必要なところに必要なだけ写真もあるようだった。
「んだんだ。やりたい人に読んでもらうといいとおもってや」
「こんな貴重なもの……」
「関東だと土の質が違うからや、盲信するなや」
と横からするどい指摘をしたのは祖父だった。
「肝に銘じます!」
と言って燭台切はホログラムを繰る。相当情報量の多そうなデータだった。
「都子ちゃんみたくじょーずにまとめられればいいんだけどな」
祖母の言葉に燭台切は笑う。
「ミヤコはおばあさんの血を引いているんですね。とても丁寧な研究です」
「だといいなや。たぶん、都子ちゃんはおっぴさんの血は引いてるなぁ」
「……おっぴさん?」
「学校の先生だったのよ。私のコレも、おっぴさんがやれって言ってくれたおかげだっちゃー。じいさまは、はじめ嫌がって、なや? 頭がいぐて、やさしいお姑さんだったのよ」
祖母の心から懐かしそうな言葉に、祖父が咳払いした。
「おっかさんには、頭あがらねくて、この人」
その咳払いに祖母はおもしろそうに笑った。
ふと気づけば、雫石は台所で皆から集めた食器を食洗機に入れているところであった。

皆食べ終わって、腹が落ち着く頃になるとまた作業へ出かけていった。
それらを見送ってから、雫石は燭台切に言った。
「私たちもいこうか」
「どこへ?」
「丸森城と――櫓を見に行こう」

[初出]2017年1月30日